小学校の卒業文集に
書いてくれたそうで。
小学校の卒業文集に
数年前のものになるが,わざわざコピーを届けてくれた。
とても嬉しい。
(掲載許可済)


問い. 文章中では塾の先生は何が大事だと述べていますか。10字で書き抜きなさい。
問い. 筆者は塾の先生の言葉を通して何が『本当に大事なこと』にあたると思い至ったと考えられますか。言葉を聞いたあとの筆者の行動を読み取り,自分の考えを述べなさい。
問い. あなたが『本当に大事なこと』に思い至ったことについて,これまでの経験や学習内容をふまえて書きなさい。
……と,ついついネタを添えてしまったが,こういったできごとを紹介していただくのはとても嬉しいもので。
嬉しいのは,(特定を避けるため学年をぼかしますが,)
・卒業文集の題材として私とのやり取りを選んでくれたこと
・私が子どもに対してポジティブな影響を与えられたこと
・↑それを具体的に書いてもらえたこと
・現在本人が中高生として数年間生活する中で,このときの変化が何年も生きていること
これらが実感できたことか。
私自身はこのようなことを言ったことを忘れているし,この言葉自身のみで人を変えられるとは考えていない。
伝えたいニュアンスを言語だけでそのまま伝えるのは難しいと考えているから。
この言葉から変化に至ったのは,本人の体験や試行錯誤,ふだんの私の言動や人柄をふまえたやり取りがあったからこそだろうと,そんなことを思うなど。
ともあれ,この仕事をしていて本当に良かった──と思うできごとのひとつであった。
余談1

子どもたちからいただくお手紙。
ちょくちょく読み返しては喜んでおります。
私自身はこういった気遣いができないオッサンなのだけれど。
余談2
余談だが,『本当に頭のいい』とか『本当の美人』とか,『本当の』『本当に』といった接頭辞はとかく厄介で。
多くの場合,『ぼくのおもう』とか『ぼくのかんがえた』という意味で『本当の』『本当に』が用いられる。
すなわち,客観的事実ではなく主観的な内容である場合が多く,強い主観が反映されることも多い。
これが,平気な顔をして客観的事実であるかのように述べられるから,読み手として特に注意したい日本語である。
今回の例のようにそれが悪いわけではないのだけれど,『社会的な正解として』『共通認識として』といった,『話者以外もそう考えている』といった意味が含有されていると誤読してしまうことには常に注意したいものだ。