【教育】それでも中学受験に参加すべき理由とは
……という記事の紹介。
それでも中学受験に参加すべき理由とは
「最低300万の巨大投資」それでも中学受験に参加すべき理由とは
↑元記事。
※『300万』は首都圏の参考です。弊塾はそのおよそ1/3額になるのか……安すぎる……。
毎度ながら,賛同する部分もあれば,そうでない部分もあるけれど。
それでも、中学受験の経験自体は無駄にならないでしょう。ミソは、受験の結果ではなく、過程に着目すること。中学入学までの期間で、ある程度まとまった時間を勉強に充てる習慣ができること自体が、大変な意味を含んでいます。もちろん、受験に頼らず勉強するようなお子さんなら、参入の必要はありません。ただ、勉強自体が好きでもなければ、どうしても途中でだらけてしまうもの。それでいうと、今の中間層までが参加している中学受験現場は、受験結果にさえ目を瞑れば、上中下それぞれのレベルに分かれて戦える、ちょうどいいトレーニング場と見なせます。
「勉強の習慣化にちょうどいいから」と始めるのは大賛成です。しかし、どんなに成績が良くても成績自体には口出ししない。間違っても「今の勉強習慣で偏差値が50なんだから、家庭学習をあと○時間増やせば、もう一ランク上に上がれるのかも」と勝手に皮算用して、子どもを追い込まない。簡単なことを上から目線で言っているようですが、これがどうにも難しいんです。
ここがいちばん賛同したいポイントかな。
受験。
合否結果だけを見て,さまざまな憶測から断定表現が飛び交うもの。
もちろん進学先は合否結果で決まるのだけれど。
学力や学習習慣,身につけたものは合否結果で測れるものではない。
人生を生き抜くためにいちばん重要なものはレジリエンスともいわれる。
中学受験に真摯に取り組んでいる子たちならば,小学生だけれど,すでに今までにさまざまな逆境に出会ったことがあるはずで。
もちろん社会に出てからのそれと比べるとまだまだ小さいかもしれないけれど,逆境から立ち直る力や長期間かけて努力してゆくとはいったいどういうことなのか,こういった体験を詰めるのも中学受験の醍醐味。
数年経てば,ポジティブな想い出となることがほとんど。
(個人個人により全然感触は違うとは思いますが。)
これはフェイディング・アフェクト・バイアスによる。
すなわち,近い記憶はネガティブなものが,遠い記憶はポジティブなものが,それぞれ想起されやすい心理効果。
いまだに『小6の受験勉強の頃がいちばん勉強していたし,いちばん楽しかった!』という声を聞くことがあるのもそれだろう。
学習習慣が身についたり,学力が身についたりももちろんなのだけれど,楽しい想い出のひとつとしてくれればより幸い。



