化学を指導していたときに,高校生が次のようにぼやいていたことがある。
生徒「化合物と混合物の違いって何なん?いまだにわからん」
確かに化合物と混合物の違いがわからない子は意外と多い。
「化学式」に慣れ親しむ前に学習するから,抽象的な説明しか受けていないのが原因だろう。
これに対して私が返した言葉はこれだ。
私「じゃあ,空気の化学式言ってみて?」
生徒「…。ああ!!そうか!!そういうことか!!今分かった!!」
私は何の説明もしていない。
だけど,この返しで生徒は気づくことができたし,この後彼は「化合物と混合物の違い」を間違えることはなかった。
それどころかむしろ得意になっていた。
もちろん初めてこの語句を学習する中学生に同じ返しは使えないし,ふだんの授業で彼の力や性質を見ているからこそ,いちばん適切な返しができたのだ。
結果,私の目論見は見事ヒットし,彼の学習に貢献することができた。
前述のエピソードは単なるひとつの具体例に過ぎないが,妙に印象に残っている。
新任の講師などにありがちだが,「自分の知っていることを最大限教え込むこと」が教育だと思っている人もいるが,私はそうは思わない。
「教えられること」よりも「気づくこと」のほうが大切だし,むしろできるだけ「気づけるよう促すこと」こそ「教育」について大切なことだ。
授業で大切なのは,講師が知識を披露することではなく,子どもたちの力や性質を見抜いていき,然るべきときに適切なアドバイスができるように備えておくことだ。