先週のことだけれど。
高輪学園の炎上
これ,気になっていたので最後の動画は生で視聴していた。
↓ことの発端。高輪学園の体育教師のエピソード。
↓高輪学園の教師からの抗議に関する内容。
↓高輪学園の校長からの回答に関する内容。
教師の発言に関して思うこと
学校教師ではないものの,私も講師という立場であるのでいろいろと思うところはある。
生徒の立場から見れば,私も過去に学校教師に理不尽なことをされたことがあるので共感するところは多い。
むしろ,今回の動画の件に関して言えば,その理不尽に対して家族ともども忍耐したのがスゴイなと思う。
私の場合は,体育の教師があまりに理不尽だったのでその後「体育」という科目自身がキライになった。
こうして考えると,やはり教師との出会いというのは,正の意味でも負の意味でも,子どもにとって重要だなと感じる。
講師の立場から見れば,子どもと接する時間が長く,かつ保護者ともすべて一人でやりとりし,さらにはフィルターも何もない状態で接するため,必然的に生の声でやりとりすることも多い。
であるがゆえに,発言には気をつけたいもの。
とはいえ,毅然とした態度を見せるべきときと,慈愛に満ちた態度を見せるべきときと,この塩梅は毎度困難を極めるもの。
同じ場で同じ空気を感じていたとして,全く逆のことを感じ取られている場合もある。
また,「ミスのないことをする」ことを主旨として行動していては,そつのない何も中身のないことしか言えなくなってしまう。
(どこぞの「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている。」という名言が思い出されますね…。)
「すべての行いが正しい」なんてことはあり得ないことが大前提であるのだけれど,なるべく適切な対応が取れるよう,事前の準備や心構えは常に鍛えてゆきたいもの。
何より,講師は子どもたちと一緒に常に成長してゆくもので,完成などないと考えている。