「学歴」の話題って,嫌悪感のある方もいらっしゃるのでしづらいのですが…。
「ひろゆきが『学歴を見ろ』と語る意外すぎるワケ」
【インタビュー】ひろゆきが「学歴を見ろ」と語る意外すぎるワケ(リンク切れ)
↑の記事を読んでいた。
「ひろゆき」とは,元2ちゃんねるの管理人であった西村博之氏。
長くない記事なので,読みやすいとは思うのだが,考え方が分かりやすかった文言は以下。
・「役に立たないものを無理やり覚える力」っていうのが重要
・大人になってからスキルを手に入れるのときに、「スキルを手に入れるためのスキル」が必要
・学歴で見るポイント→高校の偏差値
・それができなかった人は、逆に、「楽しく生きるためのスキル」をつける道を選ぶべき
なるほどなぁと感じたもの。
こういった話題って,話題をふるだけでもすぐに対立したりしがちで,真剣に議論できる場ってプライベートな場などに限られていると思うのですよね。
反射的に「学歴がすべてじゃない!」とおっしゃっる方も出てこられたりし,なかなか本論に入れなかったり。
(「学歴がすべてじゃない」のは当前として,議論が進まなくなる…。)
それを,「自分はこう考えている」というかたちでもアウトプットされている方が居るというのはありがたいことだなぁと思う。
見る場合にも,「ビジネスパートナーとして」なのか「友人として」なのか,何の参考にするのかによってどのように見るかは異なるだろう。
私もすべてに賛同するわけではないけれど,考え方の参考にさせていただく。
学歴について思うこと
例えば私は「広大附属福山高卒」「北海道大学卒」とプロフィールに書いているが,この情報はこれ以上でもないし,これ以下でもない。
「ああ,小6のときに広大附属福山中に合格,または中3のときに広大附属福山高の入試に合格することができたのだな。」
「北海道大学を卒業できたのだな。」
単にこれだけのこと。
これだけのことが重要視されたりする理由は,「初めて関わる,または薄く関わるだけのとき,客観的に分かりやすい情報である」から。
本人がどのような人物なのかのほうがより重要であるけれど,それは深く関わるまではよくわからないし,曖昧な部分が多く,また場によって見せる自分が無意識に変化することも多い。
逆に,深く関わってよく知ったあとは,学歴などさほど関係ないものになってくるだろう。
いずれにせよ,「どのように社会と関わってきたかが一言で客観的に分かりやすいラベルのひとつ」というもの。
(「ラベル」という表現はよくないかもしれないが,日本人であれば「日本人」という「ラベル」のおかげで日本国憲法の基本的人権が保障されているし,「ラベル」の恩恵は気付かぬところでたくさん受けていることと思う…。)