【TV】アベプラを観終えて【IQ】

Posted on 2021年9月29日【TV】アベプラを観終えて【IQ】 はコメントを受け付けていません

アベプラ「『IQを指標にする』あり?なし?」

「『IQを指標にする』あり?なし?」という話題。

あくまでひろゆき氏をたてる番組であるという視点で観る必要があるけれど…。

MENSA議長「IQの高さを競う団体ではない

MENSA広報「単純に社会人サークル。社会で成功することの絶対条件ではない

ひろゆき氏「IQが高いのはIQテストが得意なだけ

これには完全に賛同。

特にMENSA会員であるクイズ作家の近藤さんの「IQが高いってことは一般的な中心の値からはズレてるってことなので,ズレが発生していることで納得」という内容。

IQを知ることにより,自己認識・自己理解ができ,身の振り方に活かせる」といった旨だと思うのだけれど,これが特に的を射ているなぁと感じた。

社会不適合に悩む中で高IQであることを知り,社会に適合しづらい理由を推察する。

そして自分の活躍の場を探る/作るために高IQであることを知るのは,私にとっても自分の人生の道しるべのひとつとしてタイヘン役に立った。

「高IQ者をうまく生かさない社会が悪い!」など述べる気は毛頭なく,また「特別扱いしろ!」という気もなく,ただただ「自分は視点がズレているのだから,視点がズレているからこそ,独自の視点を活用して社会で活躍できる場を探ろう」となれば良いことだ。

統計をとったわけではないけれど,MENSA会員の友人には「医者」のほか「士業」「講師」「フリーランス」「フリーター」「ニート」といった方々の割合が,一般の母集団よりも多いと感じている。

「医者」が多いのは,単純に知能指数の高さを学力に活かしたりしていることが考えられるが,「士業」「講師」「フリーランス」についてはどうか。

これらは自分独自の動き方をする働き方のほうがラクである人間が多いことが推察される。

やはり前述の「自分の活躍の場を探る/作る」といったことと繋がっている。

また,「ニート」については,歯車として働くのが困難であり,自分の活躍の場を探っている段階であるといえる。

番組は「IQを指標にする。あり?なし?」であった。

「自分のIQは高くない」と感じている側からすれば,自分ではない他者が優遇されることに否定的になり,「なし」にしたい方が多いのは当然であるし,番組の結論としてはまぁそういうもんかなぁという結果であった。

たとえば,私が「身長を指標にする。あり?なし?」なんて聞かれたら,私は低い側であるので「なし」にしたくなることだろう。

「IQ」は「社会的立場の上下」,「学力に替わるもの」,「絶対的なもの」では決してないし,まして人の優劣を決めるものでもない。

単に人の性質のひとつがアウトプットされたものとして冷静に捉えれば良いだけのことかなぁという認識は変わらない。

番組中ではMENSA会員である茂木さんがMENSA会員全体に対して心ない発言をされているのがちょっとザンネンだった。

「社会不適合」といった言葉が出ていて,それはそうなのだけれど,「社会不適合を自覚した上で,その中で自分のがんばれる場を模索し,努力している方々」にとって悲しい発言だったろうなぁと,そんなことを感じたりした。

まぁMENSAはあくまで「交流団体」なので,その「場」をどう活用するか,どう捉えるかは個人の問題かなぁ。

こういった番組を見ると,「IQってなんだっけ」と今一度考える良い機会になるし,どのように認知され,どのようにメディアが扱いたがっているのかを認識する機会にもなる。

毎度ながら噛ませ役としての扱いが多いものの,まぁ致し方ないか。

ちなみに「IQはあくまで処理速度」といった発言は切り取り方がよくなかったのではないかなぁと,そんなことを感じております。

[追記]番組中では「IQを絶対的な指標とする。あり?なし?」としての意見と「IQを指標のひとつとする。あり?なし?」としての意見が混在しており,これがいちばん気になっていたところだった。

まぁ単なるエンタメだから…。