意識していますか?
『自分の頭で考える』
先日Twitterで話題になっていたもの。
この記事も『成人の日』より前に書いていたのだけれど,公開がズルズルずれこんでしまった。
あなた自身の頭で考えること
教育現場や家庭では『自分の頭で考えなさい』という旨の言葉はよく飛び交うものの,その意味するところが話者や場によって異なるなぁと改めて振り返るなど。
何が言いたいのかというと,『自分の頭で考える』の意味するところが……
・『私の求めていることをせよ』
・『論理や知識,経験をもとに自分で思考して自分なりに問題解決せよ』
……このどちらなのかということ。
単純なワードを問う入試問題の設問ですら,以下のような違いがあったりする。
・『これは出題の文言では言葉が足りていないが,問題集の慣例に則り設問者に忖度して解く問題だな』
・『出題の文言に過不足なく解が一意に定まるものだな』
おそらく視座の高い子はこの違いまで読み取った上で解いていることと思う。
とある学校の問題で,国語において後者について説く文章を出題しながら,他教科で前者を求める設問が多くて閉口してしまったことが頭をよぎる。
校内で先生により指導方針がバラバラになっているであろうことが読み取れる。
読書は作者との対話
これにも深く共感する。
読書に限らず,映画,アニメ,ゲーム,ペンシルパズル,入試問題,……広く『制作されたもの』と向き合うとき,私は『制作者との対話』と考えて向き合うフシがある。
当たり前のことなのだが,同じものを『読ん』でも,『読み取ったこと』『考察したこと』は人それぞれ。
先日,友人の著した『感動を伝える仕事』を読んだ感想を述べたとき,『自伝』『仕事の流儀』『時代の流れの掴み方』と記述していたのだけれど,『特殊効果の具体的な仕事』として読んだ人も居ることと思う。
小学生にはこの『成人の日によせて』はまだ早いかもしれないが,著者の意図を読み取り,この文章の述べることを一度考察してほしいなと思う。