面白い。
難関中学の入試問題になった筆者が設問を解けない
難関中学の入試問題の原作者になったけど設問が解けない理由を考えて、編集者にたどり着いた
↑元記事
出題された学校は筑波大学附属駒場中学校。
首都圏の中学入試では誰もが目にしたことのある学校と言っても過言ではない,『筑駒』である。
原作者が入試に出題されたのを目にし,ご自身で解いてみて,解けなかった理由を考察してみて,編集者と話し,そしてそれをnoteにまとめ,大々的に公開する……まさにSNS全盛期ならではだなぁと実感する流れである。
私が説明するのは野暮なので元記事を読んでいただきたい。
個人的には以下の内容が面白かった。
筆者が解けない→編集者は解ける→編集の仕事に関する考察。
次のまとめもさすが文を書くことを仕事にしている人だな……と感心してしまった。
作者でありながら、入試問題が解けなかったことを、わたしは嬉しく思い始めた。
わたしはわたしですら気づけなかった、一文の意図に気がついたのだ。弟がガラスを割った。うまく飲み込めなかった。走馬灯のように、明るくて優しい弟との思い出がぐるぐる浮かび、彼がまさか、という衝撃にしばらく立ち直れなかった。その深すぎるショックを、自分でも気づかないぐらい自然と、一文に込めていたのだ。
日々思うことだが,自身のアウトプットしていることがら,すなわち言動・行動・行為・感情等々……これらの理由はすべて自身が正しく認識できているわけではないということを改めて考える。
むしろ近しい人や,場合によっては第三者のほうが正しく認識できていることも少なくない。
私自身はこういったことを前提にとどめて生活しているし,それゆえか断定できず曖昧な表現を使用してしまうことが多々ある。
こういった前提を持っていない人には『歯切れが悪い』という印象を与えることもあるだろうなぁとも思うけれど,ウソを塗り固めたり,確かではないことを確かであるかのように述べるのは私の性質が自分を許さないんだろうなぁ。