【本】学力は「ごめんなさい」にあらわれる
広大附属福山中入試の国語2025-2。
あれこれで消えてしまった記事を再度執筆。
『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』
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著者は岸圭介氏。
『読む』『書く』『話す』『聞く』をベースにしつつも,相手意識でものごとを考え続けることの大切さが説かれており,共感すること多数。
反面,表面的に読んでしまう層が曲解しそうなところも多数あり,そこは心配かな。
読む人により得られた結論が異なりそう。
以下,私の感想など。
『聞くこと』について。
この章はについては概ね賛同しており,私自身,『話の途中で疑問を抱いた部分について質問するかどうか』はかなり重視している。
これは『相手の述べていることを理解しようとしている』傾聴ができているかということであって,『他者の話をさえぎって自己主張する』のとは正反対にあたる。
『話すこと』について。
文章では「あいさつ」を中心に,「あいさつ」が何をもたらすかなどについて述べられている。
私も「あいさつ」については概ね肯定的で,「敵意の有無」や「親近感」,「巡り合わせのきっかけ」として重要であると考えており,セレンディピティにも繋がると考えている。
また,付き合う人・環境により使用語彙や表現が変化してゆくこと,相手によって語彙や表現を常に考え続けることも大いにうなずくところであった。
『書くこと』について。
賛同するところと,賛同できないところが入りまじった章。
点数ではなく内容に目を向けるといったところは大いに賛同するところ。
どのような間違え方,どのような詰まり方をしているのか,これに向き合い続けることが大切。
『読むこと』について。
これも賛同するところと,そうでないところが入りまじった章。
音読について,引き合いに出すためかネガティブな内容のみが述べられており,そこのフォローが欲しかったなというところからスタートか。
音読は音読で特に読み慣れていない子にとっては重要で,ただし内容の読み取りとは別ベクトルの話題であるという補完がほしかった。
『常に立ち止まって,書き手に近づいて考える習慣が大切になる』という締め方には大いに賛同する内容であった。
読解に慣れていない子たちの様子を見れば,自身の無意識な推測で文章を読み替えたり,また社会常識に合わせて上書きしてしまったり,さらに読むだけにおいても感情的に反発してしまったり,……こういったことは散見されるもの。
私の授業を受けている子たちは,『筆者の人柄を読み取るのが大切』といった表現を繰り返し聞いてきたことだろう。
そういえば,保護者から『国語力がだいぶ身についたと思います』とコメントいただいたのを思い出す。
国語の成長,親子間でコミュニケーションがなされ,またその成長過程を大局的に見ていないとなかなか気づけないもの。
これにきちんと気づかれている様子を見て嬉しくなるなどした。
『解くこと』について。
多くは述べないが,特に算数についての内容が良かった。
「できる」「わかる」に重きを置き過ぎており,「ものごとを多面的に見る」がおざなりになっている状況は枚挙にいとまがない。
特に,ついていくのに必死で(学力的なゆとりではなく)心のゆとりをもてないと,この視座で学ぶのは難しい。
が,実際には生活を営む上で自身がはじめに思いついたのとは別の観点,別の前提から考えることが常態化できているか否かの違いは大きなもので。
この場では単なる算数の話題ではあったものの,いくらでも発展できそうな話題だなと思いながら読むなど。
ともあれ,全体通して考察要素の多数ある書籍であった。
(以前書いて消えてしまった記事とは全く違う感想を書いているような気もするが,まぁええか。)