前回までの旅程:天女の里→御旅市場→細川ガラシャ像→天橋立駅→文殊堂→天橋立→元伊勢籠神社→眞名井神社→傘松公園→伊根湾めぐり遊覧船→浦嶋神社→碇高原牧場→経ヶ岬灯台→袖志の棚田→丹後松島→屏風岩
(だいぶ長くなってきましたね…。)
17. 大成古墳群
読みは「おおなるこふんぐん」。
古墳好きなので…。
(特に好きな時代は「古代」です。)
近年,古代史では古代丹波(こだいたにわ)の評価が高くなっているようで,その地域は現在は但馬・丹波・丹後となる。
京丹後付近には日本海三大古墳が集結していることもあり,古墳もちょっと訪ねておきたかったのだ。
大成古墳群には,十三基もの横穴式石室跡が露出していた。
うーん,看板が風情を台無しにしている感じがある…やむなし。
古墳のみならず,付近の景色も美しい。
一日に何枚水平線を撮影したことか。
あ,次の目的地のネタバレが見える…。
18. 立岩
読みは「たていわ」。
Tateiwa Rock.
エアーズロックのように,「ウルル」みたいな別名欲しいですねぇ。
(ウルルの画像検索)
この岩の中に退治した鬼が封じられており,今でも泣き声が聞こえるとか…。
泣き声にちなんで別名は「ウルウル」にするしか…。
さて,こうして陸と繋がっている部分はトンボロと呼ばれ,小豆島のエンジェルロード等が有名である。
尾道市(浦崎町)にある「沖の観音」でも似たような現象が見られる。
近づくと…登れそうな雰囲気があり,「子どもの頃だったら思わず走って登ろうとしたかもしれないなぁ」と思うなど。
いつにも増して乱れ髪ぎみのオッサンも。
風が強いからかな?
付近には「間人皇后(はしうどこうごう)」「聖徳太子」母子像も。
地域では間人蟹(たいざがに)の産地ともなっているが,同じ漢字でどちらも特殊読みであり,とても読みづらい。
間人皇后は,蘇我氏と物部氏の争乱を避けてこの地へやってきたそう。
そしてこの地を去るときに「間人」の名をこの地に贈ったが,「畏れ多い」とのことでそのままの読みは使わず,「退座」されたことから「たいざ」と読むようになったとか。
聖徳太子に近寄ると…。
この顔である。
教科書や資料集で見かけるものとはイメージが大きく異なるが,インパクトが強いこともあり,並べて掲載したいものだ。
(顔マネしての撮影,しそびれましたね…。そもそも難しいか…。)