野球には関心がないのだけれど…。
「少年野球の常識を疑う新設チーム」
罵声禁止、休んでOK、保護者の負担なし… 少年野球の常識を疑う新設チーム“9の約束”
受験勉強にも同じことがいえるなぁと感じたことが多かった。
「怒っても、野球は上手くならないんですよ」
まさに,「怒っても,学力は上がらないんですよ」。
せいぜい「怒る人の前で『やっている感を出す』『やっていない感を減らす』」くらいはあるかもしれないけれど,これが学力に直結するかというと…うーん。
目先の短期の暗記程度には効果があるかもしれないけれど,長期でみたときに,勉強嫌いが加速するのがコワイ。
何より「怒る」のは指導者側の感情であり,ぶつける対象は子どもで良いのか?
自身の感情をコントロールすることを学ぶのが先では…と感じることも。
「ミスを咎めることなく許容する。これが本来の野球のあるべき姿だと感じました」
これもそう。
学習・勉強は興味・関心をもったものについて「もっと知りたい」「もっと分かりたい」というところから出発するもの。
その過程でミスが起きるのは当然であり,それが咎められるのは,目先の成績や教育課程上のタイムリミットが存在するからだろう。
中学受験にもタイムリミットはもちろんあるのだけれど,それでも私は「過去の自分より何が成長したのか」がいちばん大切であるし,その積み重ねにより学力が上昇し,それが成績に結びつくと考えている。
チームには“9つの約束”がある。「罵声や高圧的な指導を完全禁止」をはじめ、「ばっちこーい!」など野球独特の「ロジカルではない声出しは行わない」や「活動は休んでも構わない」との項目も。共働きの家庭も多いため「保護者の時間的負担一切なし」と掲げている。
「ロジカルではない声出しは行わない」,これはなかなかできることではないなぁと感じた。
「ロジカルかどうか?」といった基準,大人でもなかなか線引きが難しいのでは。
そんな中,自分の考えている少年野球を実現するために約束ごとをつくるのは並大抵の熱量ではできないだろう。
「保護者の時間的負担一切なし」もなかなか素晴らしい。
「子どもが野球好きなのでやらせているけれど,親の負担が大きい」といった話は聞いたことがある。
中学受験指導もそうだけれど,習い事では保護者の負担が大きいことも多い。
そういった視座で考えられている点でもスバラシイ。
某入試問題の出題には「人は本来努力することを楽しめる存在である」といった旨が書かれていたのが思い出せるが,スポーツも勉強もそう。
苦しんで勝ち取った努力ばかりが賞賛されることがあるけれど,楽しんで努力できるならば,それがいちばんである。
楽しい努力であれば今後の人生で何度でも取り組もうと思えるものであるし,「努力を楽しむ」といった方法を学ぶこと自体に価値があるともいえる。
短期的な成績だけにとらわれず,学ぶこと自体に価値を置きたいものだ。
成績にこだわるにしても,それこそが成績に反映されるものだ。
(まぁ,中高の定期テストに限っていえばこの限りではないけれど…。)