岐阜が本拠地の集団かな?
(これも1か月以上前に書いたもの。旬を逃してしまった。)
ギフテッド支援
はじめに述べておくと,「ギフテッド教育」とは,ギフテッドにする教育ではなく,ギフテッドの子に適切な教育を支援するものである。
飛び抜けた能力、なじめない学校 文科省「ギフテッド」の子を支援へ
↑ニュース記事。
(1)特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進
(2)多様な学習の場の充実
(3)特性を把握する際のサポート
(4)学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供
(5)実証研究を通じた実践事例の蓄積
特異な能力・性質の子たちには成長するための場がない。
従来の公教育では,「遅れている子」「学力の低い子」には支援があるのだけれど,「もっと学びたい子」への支援がない。
多数派こそ正義,協調性こそ正義である場が多く,また先生の負担から考えても単に「管理者にとって扱いづらい子」とされてしまう。
特に「結果平等」を求められる場では,「出る杭は打たれる」状態になるし,「機会平等」となると5分程度で分かる内容を周りに合わせて数時間かけて退屈な時間を過ごすことも。
「ギフテッド」の呼称,日本だと「鼻につく」と考えられる場も多く,社会からの理解がなかなか得られないように思う。
また,何のアウトプットがないにも関わらず「自分がギフテッドだと主張したい方」「自分の子がギフテッドだと主張したい方」も散見され,実際に特異な能力をもった子をそうであると判別することは容易ではない。
単にアピールが得意なだけの者が得をし,特異ではあるが謙虚な者が損をする,こういったことにならねば良いがなぁ。
↑以前読んだもの。
↑最近ギフテッド関係の話題がSNSでも活発になっている。
上記のpdfは分かりやすくまとまっており,タイヘン参考になる。
以前SNSで拝見したものに,「学習が遅れている子は支援するけど優秀な子は放置」といったものがあった。
まさにそうだと感じたもの。
私自身は遅れていようが進んでいようが,「学びたい子に適切な学びを支援すべき」だと考えている。
ともや塾の役割として。
三原市周辺は「中学受験の勉強をしたい」という需要が他の地域に比べて少ない。
ゆえに,そういった子にとって学びの選択肢が少ない。
だから,選択肢のひとつとなれればと考えている。