AIに仕事が奪われた例

AIに仕事が奪われた例

が話題に。

AIがイラストレーターの仕事を奪い始める

AI is already taking video game illustrators’ jobs in China

↑元記事は英語。

AI入侵我的行业:裁员30%,高手却加薪了

↑元記事は中国語。

イラストを1から生み出すよりも,AIが生成したイラストをちょっと修正する作業のほうがコストが低く,イラスト単価が10分の1になってしまうとのこと。

イラストAI。

昨年『Midjourney』が話題になって以来,スゴイスピードで進化しており,また使用するヒトの進化もスゴイ。

イラストだけでなく,アパレル業界でモデルをAIで代替できる場面が増えてきており,モデルの仕事が減る等も。

今月は↓のようなダンス動画からアニメを生成する内容も話題になった。

どのようなかたちになっても,『使う側になる』『適応する』ということが重要だなぁと,そう感じるできごとであった。

AIがライターの仕事を奪い始める

「報酬10分の1に」「時給80ドルのライターだったがクビ」。海外で「AIに仕事を奪われた」悲鳴上がる

↑いま私が書いている記事を公開する前に,ちょうど良いニュース記事が出ていたので公開前に追記。

創作分野においては,単一指標であればトップ層のみ,そうでなければ唯一無二性,これらのみに需要が集中するのだろうなぁと感じる。

後述するが,『AIに奪われる』ではなく『AIをうまく取り入れる』という方向性が大事になりそう。

こういった『仕事が奪われる』話題で毎回思い出すのが『ランプ屋の廃業』である。

(『おぢいさんのランプ』より)

いま,当たり前のように電気(この場合は電灯・電球の意)を使用しているけれど,これが当たり前になる前はまさに他の道具で灯りをとっていたはずであり,世の中の変化とともに廃業する仕事があるのだと考えさせられる内容である。

ランプ屋のお気持ちに寄り添えば『世の中を便利にすることを止める』という選択もあるが,それはランプ屋以外全員の発展と天秤にかけることになり,またそれを行えば他国よりも相対的に貧しい国になりゆくこととなる。

何が良い・何が悪いを論じるつもりはないが,道徳の時間に扱うべき内容かもしれないなぁ。

ともあれ,『奪われる』というネガティブな見方にとらわれず,『うまく使う』ことを考えたほうが得策だろう。

↑の例も話題になった。

便利なものであることは間違いないわけで,『いまのAIには何ができて何ができないか』,触っていろいろ試行錯誤してみつつ,広げた知見でできることを思いつきつつ,AIが今後何ができるようになりそうか考察しつつ,──この繰り返しをした者が適応できそう。

以前も書いたが,今までは人との協力が必要だったことのいくつかは,一人でできるようになってゆくことだろう。

アイディア出しや社会とのすり合わせ,AIの判断等を適切に評価する力,……結局基礎として教養や思考力,そして実践が必要になるのだろうなぁ。

今のうちに失敗を恐れずどんどん学んでほしい。

いまは技術の進化に法整備が追い付かない状況が加速しており,今後何が法的にセーフで通るのか,アウトにされるのか──も見当の付かないことが多い。

これも運用してみて社会全体がどう評価するか次第であるところも大きく,個人だけで想像するのが難しいなぁ。

「民主主義の自殺」ChatGPTは使用禁止 鳥取県・平井知事

↑鳥取県では逆に使用禁止にしてしまったが,『単に自分には分からないもの』『非難すべき部分がひとつでも見つかった』等の下らない理由でなければ良いなぁ……。

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