分かりやすい例。
教養の差
SNSで見かけたもの。
https://x.com/charlot_bn/status/1726246158144774253?s=20
(低評価を付けた人のコメント)
ただのスキャン
市販の本を単にスキャンしたものです。画質も悪く、書き込みの跡も見られます。
(高評価を付けた人のコメント)
市販の本をスキャンしただけと書かれている方がいますが
坪内逍遥訳のハムレットを、現代語に置換されていない原文の言葉のまま、旧仮名遣いで読めるのはこの本くらいで、市販されておらず、(※坪内逍遥訳の現代語版は市販されています)、ハムレットを研究する立場からすれば大変貴重な本だと思います。スキャン元は、禁複写扱いの100年以上前に出版された初版本で、20年くらい前は早稲田大学図書館が所蔵していて私も論文に引用させていただきましたが、当時から歴代の学生が研究したとおぼしき鉛筆の跡があり、閲覧に耐えられなくなって電子化した経緯もあるような気がします。明治期の翻訳ながら、原典の言外の意味をうまく訳語に活かしており、こんな本が電子書籍で安価で手に入るのは良い時代になったなと思います。
私は専門外の立場なのでその真実は知らないのだけれど,同じものに対する見方がこうも違うものかという良い例だなぁと思いながら読むなど。
私のブログ記事ですら,肯定的な意図で書いたものを否定的な意味で受け取られたりした経験は少なくない。
事実ベースや俯瞰視点ベースで書いたものも,勝手に『良い』『悪い』といった意を付加して読まれることには枚挙にいとまがない。
読んだ瞬間に読み手の意思が介在するのだと考えさせられるし,自身が他者の著作物を読むときにもそういったことに注意せねばなぁと自省させられる。
余談
この記事を書いているときにちょうど良い言語化を見かけたのでついでに。
https://x.com/terrakei07/status/1728687041079382376?s=20
仕事上もプライベートでも嫌がられるその「困ったコミュニケーションをする人」とはなにか。
それはすなわち「自分の頭に浮かんだことを『相手が主張していること』と混同する人のこと」だ。