【教育】『分かりやすい授業』という典型的な罠
『分かりやすい』とはいったいウゴゴゴ。
『分かりやすい授業』
時代を経るにつれ,web上の情報の玉石混淆が増していて。
『分かりやすい』といった日本語が危ういなと感じている。
まず,普遍的に分かりやすい授業なんてないんだよね。
聞き手が『自分にとって』分かりやすく感じたかどうかの問題で,これは聞き手の前提知識や経験・体験・性質に依存する度合いがあまりに大きい。
しかも,分かりやすかったかではなく,分かりやすく感じられたで評価しがち。
だから,聞き手側に話し手の授業を理解する土壌が出来上がっている,話し手が聞き手の反応を見ながら内容を調整する,こういったことで分かりやすい授業が成り立つ。
しかし,話し手が聞き手の反応を見ながら内容を調整する場合,その日にするべきだった課題のレベルまで届かない場合が発生することが多発する。
これでは授業自体は成立するけれど,そのときに習得すべきだった内容は積み残しになり,どんどん借金ができていく状況になるんだよね。
前提の欠落が大きいと個別指導が最適になるのだけれど,その理由で個別指導を利用するといつまでたっても標準には合流できないし,むしろ離されていくだけになりがちだよね。
快適圏内にいるだけでは成長は難しいのだけれど,快適圏の外側に出るには精神的な成長が必要になるのがまた難しい問題。
さて。
結論を述べると,『分かりやすかった』と『実際に分かっている』は全く別のことで。
『分かりやすかった』は,『分かった気になれた』『満足した』の意に近い。
この『分かった気になれた』は必ずしも悪ではないから,個別事例ひとつひとつに慎重になる必要がある。
たとえば,理科分野においては,いきなり詳細から入ると分かりにくいことがあまりに多すぎる,前提知識が多層構造すぎる。
このことから,低学年向けに分かりやすいモデルを教えることで前提知識の土壌をつくってゆく。
進級するにつれ『あれは分かりやすくするためのモデルだったのか!よくできているなぁ』と学び手は何度も驚かされる。
高校では『電子が原子核のまわりをまわっている』といった学習をするが,大学ではその前提が崩される。
電流などは顕著で,小学では『+から-に電流が流れる』,中学では『電流とは逆の向きに電子が流れている』,高校では『電解質ではイオンも流れるし,自由電子というものもある』,大学では『自由電子も近似モデルか』……等々。
理解が進むにつれ,理科は実際の自然現象などを人が理解するために,研究者たちがさまざまなモデルをつくりあげてきたのだと分かってくるもの。
この,自然を理解するために人類がモデルを作り上げてきたこと。
これも理科の面白さなのだけれど,これを他者の思想の押し付けと感じられると面白くないかもしれない。
小学生にいきなり量子論の話は難しすぎるし,専門的に扱う場合や,ちょっとした日曜大工的なときに前提知識は必要になったりするけれど,一朝一夕に理解できるものではない。
反面,小学算数の割合の単元は教育に大きな問題を抱えていると考えている。
教育現場では割合の単元で「くもわ」といった解法がしばしば使われる。
これは,割合の理解を放棄し,目先の問題を正解させるためのツールだそう。
「くもわ」の3数でものごとを考察することは,この単元を抜けたあとにはなかなかないだろうし,日常で「比べる量」なる概念を特定しようというほうが,割合の概念理解より難しいだろうに。
目先の問題が3数から構成されているから,どれが「くもわ」のどれかを当てにいく行為に成り下がっているさまには,毎度ながら閉口してしまう。
数は概念を扱うものなのだけれど,数を概念として理解しているかどうかは,アウトプットしたものだけからではなかなか分からない。
『金の価格が高騰しているのだけれど,金1kg何円だと思う?』
『金の価格が高騰しているのだけれど,金1g何円だと思う?』
小学生にこの質問を,期間を置いて行ってみると,同じ回答が返ってきたりする。
重さが1000倍も違うのに,その1000倍の違いのイメージが無い。
倍率という概念自体が,大人が思っている以上に子どもには難しいのだ。
自身のものにしている子にとっては割合は新たな学習となり得るが,そうでない子にとっては,理解できなくても目先の問題を正解させて分かったことにしておく必要があるよう。
この課題は,『教育課程でいま学習しておくべき』と『個人の理解度に差がある』とのジレンマとつねに隣り合わせといえる。
『分かった気にさせておく』のが最適解になる場合もあるが,『積み残しになっている』と自覚しておいてもらう必要もあり,なかなか難しい問題だ。
『積み残しになっている』を不快に思い,その科目自体を敬遠してしまう,そしてさらに積み残しが増える……負のスパイラルに入ることにも繋がりかねない。
ただ,繰り返しになるのだけれど,快適圏の外側に出ながらでないと学びは進まない。
新たな学びは,脳に負荷がかかることが重要なのだ。
単純化の罠にハマるのもまずいけれど,『少し分かりにくいけれど,理解することに努める』程度が最適解といえるだろう。

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