「自意識過剰」や「自信過剰」などと混同されがちだ。
自己を尊重する心
「尊重する」とは,簡単にいえば「大切にする」ということ。
自己を尊重するということは,単に自分勝手をすることではない。
他者からの評価に頼ることなく,自分で選択していくこと,自分の可能性を実現していくことだ。
私の考える教育では,これが大切であると考えている。
だから,子どもたちの未来について大人ができることは「いろいろな選択肢の紹介と手助け」であり,「誘導」ではないと考えている。
中高生くらいになれば,反抗期が来て「大人の誘導」にのらなくなったりする時期がきたり,自分で将来を考えて行動していくようになっていくものだ。
だけど,小学生の指導をしていると,「大人の誘導」はよく見かけるし,常に大人の目を気にしている様子や,仕方なく塾に来ているといった様子から「自尊心が低い子だな…」と見受けられることもある。
(現状ではなくずいぶん昔の話ですが…。)
幼い間は行先の目安としてレールを敷いてあげることはもちろん必要だし,それが無ければ成長できない場面もある。
問題は,レールに乗せたままどこまで進み,どこから自立へ向かってもらうかだろう。
中学受験の勉強をしていく5年生,6年生はちょうどこの切り替えのタイミングの時期でもある。
だから心理面の難しさが大きいし,だからこそやりがいがあると感じる。
自尊心の欠如
これが芽生えていかないと,将来的に何かに依存したりする人生を歩んでいくことも多い。
私は「受験勉強」を掲げるからには,もちろん実績は大切だとは考えている。
だけど,それ以上に「この受験勉強を通してどういった成長をしたか」はもっと大切だと考えている。
客観的な評価軸が無いから結果が分かりづらいものではあるが,「自尊心」を育てていくことは大切であると考えている。
だからこそ,子どもに声掛けをするときにも,「自分で選択する」「任意」といったかたちをとることが多いし,「カンペキにする必要は無い」「○○しないとダメといったことはない」とも考えている。
(つい「ダメ」といった言葉を使ってしまうこともあるのだが,気を付けたいところだ…。)
おそらく塾の方向性としては,「『目先の内申点』『目先のテスト』のための『強要』」を大切にする塾もあることと思う。
これは高校入試で重要である内申点稼ぎには大切なことであるから,悪いとは思わない。
単に私の塾とは方向性が異なるというだけだ。
自尊心と同じような言葉に,「self-esteem」や「自己肯定感」「自己決定感」といった表現もある。
私は「尊重」の「尊」という漢字が好きなので,「自尊心」という言葉で紹介した。
教育に関する考え方の一助となれば幸いだ。
(受験期から新年度…と慌ただしくしていたからか,久しぶりに教育に関する記事を書きましたネ。)