「ほめられると伸びる」とは,教育現場でよく言われることだ。
「叱ることよりもほめることが大切だ」とも言われる。
「ほめること」は良いことなのだろうか?
ここを改めて考えてみたい。
「ほめること」とは何か?
人は「ほめられる」と嬉しいものだ。
嬉しいを通りこして,何かこそばゆい感じになることがあるかもしれない。
なぜ嬉しいのだろうか?
それは「自分が認められたから」に他ならないだろう。
自分自身でなくとも,自分の行為の場合もあるかもしれない。
なんにせよ,「承認欲求が満たされた」のだ。
これはSNSでよく見かける「いいね」に非常によく似ていると思う。
「いいね」を単に「読んだよー」の意味で使う人もいるが,「いいね」をもらったほうは,やはり嬉しい。
自分の存在,自分の投稿が認められたのだ。
だが,この先に弊害がひそんでいる。
SNSの利用頻度の高い人は分かるかもしれないが,「他者との比較」が始まるのだ。
もちろん「全く気にならない」という人もいるかもしれない。
だが,「もっと認められたい」という思いが募る人も多い。
中には「バカッター」などと呼ばれる,迷惑行為をしてまで注目を浴びたがる人も出てきているほどだ。
ここに危険が潜んでいる。
「認められる」ということに味をしめてしまうと,「とにかく目立つ」という行為で承認を得たくなることがあるのだ。
アドラー心理学では
「ほめること」はほめられた人の「自律心」を阻害し,「ほめられること」に依存する性質を生み出してしまう…という立場だ。
もちろんアドラー心理学が常に正しいというわけではない。
だが,
「テストで良い点をとってほめられる」
「ほめられるから良い点を取りたい」
「手っ取り早く良い点を取るためにカンニングする」
「ほめられるために勉強をする」という意識で,こういったプロセスを踏んでしまう子が多数存在するのも確かだ。
「ほめる」行為が「承認欲求の塊」を生み出さないよう,注意したいものだ。