ほめることの弊害

Posted on 2019年9月13日ほめることの弊害 はコメントを受け付けていません

「ほめられると伸びる」とは,教育現場でよく言われることだ。

「叱ることよりもほめることが大切だ」とも言われる。

「ほめること」は良いことなのだろうか?

ここを改めて考えてみたい。

「ほめること」とは何か?

人は「ほめられる」と嬉しいものだ。

嬉しいを通りこして,何かこそばゆい感じになることがあるかもしれない。

なぜ嬉しいのだろうか?

それは「自分が認められたから」に他ならないだろう。

自分自身でなくとも,自分の行為の場合もあるかもしれない。

なんにせよ,「承認欲求が満たされた」のだ。

これはSNSでよく見かける「いいね」に非常によく似ていると思う。

「いいね」を単に「読んだよー」の意味で使う人もいるが,「いいね」をもらったほうは,やはり嬉しい。

自分の存在,自分の投稿が認められたのだ。

だが,この先に弊害がひそんでいる。

SNSの利用頻度の高い人は分かるかもしれないが,「他者との比較」が始まるのだ。

もちろん「全く気にならない」という人もいるかもしれない。

だが,「もっと認められたい」という思いが募る人も多い。

中には「バカッター」などと呼ばれる,迷惑行為をしてまで注目を浴びたがる人も出てきているほどだ。

ここに危険が潜んでいる。

「認められる」ということに味をしめてしまうと,「とにかく目立つ」という行為で承認を得たくなることがあるのだ。

アドラー心理学では

「ほめること」はほめられた人の「自律心」を阻害し,「ほめられること」に依存する性質を生み出してしまう…という立場だ。

もちろんアドラー心理学が常に正しいというわけではない。

だが,

「テストで良い点をとってほめられる」

「ほめられるから良い点を取りたい」

「手っ取り早く良い点を取るためにカンニングする」

「ほめられるために勉強をする」という意識で,こういったプロセスを踏んでしまう子が多数存在するのも確かだ。

「ほめる」行為が「承認欲求の塊」を生み出さないよう,注意したいものだ。

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