2月下旬のニュースより。
「福山」「英検」「不正」などで検索したら 出てくるかもしれない…。
非公表資料のコピー
受験者ではなく,管理側の不正である。
「試験会場に認定されているのを良いことに,非公表資料を職員室でコピーしていた」とのこと。
学校の説明会では「ウチの学校では,○年生に英検○級合格者が○人!」という部分も売りにされていたので,厳しい立場に置かれることとなるだろう。
現在,福山市周辺では国公立志向が高まっており,ただでさえ私学は厳しい立場であったが,それに輪をかけたかたちとなってしまう…。
英検などの検定試験について思うこと
学生のときに検定試験に全く興味が無かった立場で述べる。
検定試験について,今現在の私は全く必要の無いものだと考えている。
必要になる場面は,「大学入試で使うことがスタンダードになった場合」と「ふだんの勉強のモチベーションを保つのに必要と判断した場合」くらいだろう。
「鉄道が楽しいから鉄道に詳しくなる!」「ウルトラマンが好きだからウルトラマンに詳しくなる!」と同じような感覚で,「検定試験が楽しいから検定試験に詳しくなる!」という,マニア的な楽しみを求めているのであれば悪くはないと思うけれど…。
漢検協会事件
2009年に起きた,利益を私的に利用していた事件である。
こんな大事件があったにもかかわらず,「勉強に関わるものだから…」といまだに漢検人気があるのが教育業界である…「オイオイマジカ…」とツッコミを入れたくなるところだ。
私はもともと漢検について懐疑的な立場だ。
理由のひとつは,「筆順」の問題を出題するから。
初めて学習する漢字について,「筆順」は大切である。
だけど,「筆順」はキレイに正しく書くための目安であり,時代や文化とともに変化してきたものだ。
これを点数に加味するのは,漢字に愛着のある方ほど疑問に感じるのではなかろうか。
2016年には,文化庁が「とめ・はね・はらい」を含めた字形について,「文字特有の骨組みが読み取れるのであれば,誤りとはなしない」という指針も示している。
簡単にいうと,「読み取れればOK」「字形の似た漢字があるならば,区別がつけばOK」ということ。
過去の偉人たちの字にも読み取りづらいものが多いことからも,字のキレイさは「実力の無い人にとっては良いイメージを付けるのに必要」だけれど,実力のある人にとってはさほど大切でないことはよくわかるはずだ。
難関の医学部医学科を卒業したであろう医者の皆様にも,字のキレイさを気にしている方がそれほど多くないことからも容易に分かることだ。
(ただし,入試については試験の採点者がこの部分をどう考えているかは,採点基準と採点者の思想・裁量次第であるから,それを考慮する必要があるのだが…。2番手校などは「管理のしやすさ」が大切だから,丁寧さを重視されることであろう…。)
いずれにせよ,漢検というものは「漢字能力の検定」ではなく,「漢検マニアかどうかの検定」である。
英検から話はそれたが,検定試験は「検定を管理する側」の意図に沿った試験であるというのが私の認識だ。
(私が受けた検定らしいものは「TOEFL-ITP」くらいだ。大学2年次の単位に必要であったので…。あ,あとは「普通自動車免許」…。←検定のようなテストにあまり意味が無いことがよく分かるテストですね…。)