よく聞くフレーズだ。
私の結論を先に述べておくと,「お互いが相手を尊重していないと,成立しない」。
(※2020/8/26追記)「20」は「大きくズレていること」を表している目安の数だと考えられます。厳密な区切りはないでしょう。また,「同じ情報を得ても,視点や考察の方向性が異なること」は多いように感じます。
(2020/12/21追記)私自身,検査によりIQがかなり違います。
(2021/11/28追記)いくらかのIQテストを受けて1年が経ち,この記事を書いたころとは私自身も考えがいくらか変わっております。が,そのまま残しておきます。
(2022/9/7追記)いまだにアクセス数のいちばん多い記事なので,続きを書きました。まさかこれが塾のメインコンテンツなのかしら……。近日公開します。
(2022/9/11追記)続・IQが20違うと会話が成立しないのか?1公開しました。
とある記事を読んでいた
「IQが20違うと会話が成立しないと言うのは、事実なのでしょうか?経験はありますか?」という質問への回答。
この方の結論にあたる部分だけ引用すると,
・会話は成立しない
・会話の成立を拒否しているのは,高IQ側ではない
自分は高IQ側であるから不思議に思わない。
この方は高IQ側であるので,「自分は常に相手を尊重している」という状態であれば,残りの部分は相手側に依るし,間違ってはいないからだ。
(ただし,自分視点でしか述べられていないようには思う。)
だけど,そうでなかったら,このフレーズだけではちょっと反感を覚えそうだ。
相手の「何言ってるの……?」という不審な目
会社に所属していたときに何度も感じたものだ。
確かに大学のころの友人とは会話はスムーズだったし,会話がスムーズでなくなったのは会社に所属してからだ。
今でこそ客観視できるようになったが,それまでは「相手に分かるように説明しない自分が悪い」「思考が異なる自分が悪い」と何度も考えてきたし,実際に会社の方にも「周りに合わせない君が悪い」など言われ,ずいぶん悩んだものだ。
ところで,IQテスト(WAIS)では,6つの項目をテストする。
「言語性IQ」「動作性IQ」「言語理解」「知覚統合」「作動記憶(ワーキングメモリ)」「処理速度」。
すなわち,同じ大人でも,これらの能力にずいぶん優劣があるということだ。
だから,「大人なんだから,同じように推察できるだろうし,同じような速度でものごとを考えられるだろうし,ましてや塾講師なんだからなおさらこの程度は類推できるだろうし,相手の能力を低く見積もるのは失礼だ」という前提で会話をすると,「相手の思考が追い付かない」ということがたびたび起こり,「わけのわからない人」という烙印を押されるのである。
こういった経験が多いからこそ,「相手はどのラインまで推察できているのだろうか」「相手はどこまで知識を持っているのだろうか」「相手がこの会話に求めていることは何だろうか」,今はこういったことを自然に考えながら,常にそれに合わせて言葉を調整するようになった。
おそらく,幼い子を教育するときに,幼い子の目線を考えながら教育をしていくときに考えることと似ているだろうと思う。
例えば,
「この知識はこの子にはまだ難しいから,易しい表現にしよう」
「この因果関係を推察するのはこの子にはまだ難しいから,説明してあげよう」
「さっきも言ったことだけれど,まだ子どもだからもう一度説明してあげよう」
「ずいぶん作業が遅いけれど,この年齢だから根気強く待ってあげよう」
…こういったことだ。
今までの経験の具体例で述べると…
私「画像で保存すると劣化するから,テキストベースのpdfで保存したほうが良いんじゃないですか?」
相手「pdfって画像ですよ笑 テキストベースのpdfって何ですか?笑」
私「(相手はpdfが画像ファイルしかないと考えているうえ,私側が間違っていて自分側が当然常識があると思い込んでいる…。どこから説明すべきだろうか。説明したとして相手は理解できるだろうか。そもそも説明を聞く気になるだろうか。理解してもらったとしてメンツをつぶされたと逆ギレしてこないだろうか。ケンカを避けるために話題を終わらせるべきなのだろうか。相手に理解してもらう必要があるだろうか。また細かい人だという意識を植え付けるだけになり集団生活をする上で自分が損するだけになるのではないか。)」
…こういったことだ。
この場合,相手が聞く耳持たない状態が明らかであったので,ここで会話が成立しなくなる。
そして「分かるように説明しない側が悪い」となるのだ。
例えPCの知識が無かったとしても,「自分が間違っている可能性がある」という前提があれば,こういったことは起こらない。
浮きこぼれ
これについては,一度フォーカスした記事を書いた方が良いかもしれない。
「落ちこぼれ」の反対語として取りざたされるようになった。
子どもがあまりに優秀すぎて指導者側が理解・制御できず,「ズレている」という部分だけが取り上げられ,集団からあぶれてしまう状態である。
「ズレている」のが「能力が高すぎることに起因していることもある」ということに,指導者側が気づけないのだ。
人は「自分の範疇を超えるもの」を怖れるものであり,「押さえつけようとする」傾向がある。
指導者という役割の大人であれば,自分の能力を超える子どもが出た場合にはなおさらそういったことをしがちであるだろう。
こういったことが起こらないようにするためには,あらかじめ大人側が「子どものほうが能力的に優れていることは充分あり得るし,それは運動能力や好奇心だけではなく,知能についても同様である」ことを認識しておくことだ。
また,大事なのは「自分のメンツがつぶれないようにすること」ではなく,「子どもが伸びるために何ができるかを考えること」だ。
会社でも,「部下のほうが能力が優れている」ことはあり得るし,それを押さえつけるか伸ばすかは,上司の性質によるものだろう。
プライドが先行して「自分が理解できないほど相手の能力が高いわけがない」意識のある大人,上司にあたった場合はご愁傷様である…。
まとめ
・会話が成立しない原因は以下の2つ。
「自分の理解や推理,思考が及ばないこともある」という前提で会話していないこと。
「自分の思考に相手が追い付いていない場合があり,それに気づき,かつ相手の思考レベルに配慮する必要がある」という前提で会話していないこと。
・まとめると,「お互いが相手を尊重できていない場合,IQがズレていると会話が成立しない」。
逆にこの部分があれば,IQによらず会話は可能。
「ズレている」ことを「特化している」ととらえられるかも重要。