続・IQが20違うと会話が成立しないのか?1

Posted on 2022年9月11日続・IQが20違うと会話が成立しないのか?1 はコメントを受け付けていません

アクセス数が多かったので,情報を求めている方の参考になればと思い,続きを。

テキトーに書いただけのものなので今後情報を整理する可能性もあります。

(類似の項目があるので,いくつかまとめられるはずです。)

とりあえずたたき台的なもの。

「IQが20違うと会話が成立しないのか?」

結論から述べようと思っていたのだけれど,

会話が成り立たない理由は多岐にわたり,複合的である。

という大前提ありきの内容であるものの,そこをすっ飛ばして話が伝わるのがコワイこともあり,後回しにする。

「IQ」を「頭の良さ」や「人の優劣」と捉える向きがあまりに多いと考えているからだ。

たとえば「身体能力」という言葉について考えたとき,「身体能力とは何か?」の捉え方が人によって異なることに似ているかもしれない。

これは辞書的な意味を文字で読み取ったとしても,その同じ文言をどう解釈しているかは人によるということだ。

書くに至った経緯

以前記事を書いたときは単に「MENSA(メンサ)に入会した」程度の状況であったが,今はMENSA会員との交流も増え,別の高IQ団体METIQ(メティック)にも入会した。

医療用のIQ検査,ハイレンジIQテストもいくつか受検し,さらにこれらに関心の高い方々との交流もした。

発達障害当事者とも多く交流した。

IQにルサンチマンを抱える方々複数名の声も聞いた。

逆に,社会不適合者が社会適合者に対して抱くルサンチマンについては私自身も身に覚えがある。

そして私自身が「好奇心からどんどんIQについて学んでいた時期」から1年以上経過し,「IQ」そのものについて思考する時期からずいぶん時間が経っていた。

最近になって似たような文言を見かけたので,そろそろIQについて客観的な視座で書けるかなぁと思い立ったもの。

以前書いたときとは異なる話ができそうだと思い,これを書く。

さて,「IQが20違うと会話が成立しないのか?」である。

「IQが20違うと」に注目してしまいがちであるが,まずはネット上で見られる文献,そして「会話が成立しない」にフォーカスし,その後IQについて述べる。

ネット上で見られる文献

2つご紹介。

1. ホリングワース

1つは友人が「Yahoo知恵袋」で見つけてくれた。

「『Yahoo知恵袋』じゃあ情報ソースとして弱くない?」と感じられるかもしれないけれど。

回答者が情報ソースを示してくれているタイプの回答であったので,ここで参照させていただく。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10161961780

↑元の質問。

https://www.gutenberg.org/cache/epub/47403/pg47403-images.html

↑質問内で参考にされている3つの記事。

いずれも英語の文献である。

ひとつずつ確認してゆこう。

According to Leta Hollingworth’s research, to be a leader of his contemporaries a child must be more intelligent but not too much more intelligent than them. A discrepancy of more than about 30 points of IQ does not allow for leadership, or even respect or effective communication.

ホリングワースの研究によると、同時代の人々のリーダーになるには、子供は彼らよりも頭が良くなければなりませんが、頭が良すぎてはなりません。 IQ が約 30 以上異なると、リーダーシップ、尊敬、効果的なコミュニケーションさえもできなくなります。

IQが約30以上異なると,コミュニケーションさえもできなく」の部分である。

ここでは「20」ではなく「30」という数が使われているが,「およそ100年前の研究である」ことにも注意。

Leta Stetter Hollingworth (1926) found that if a leader’s intelligence was much greater than that of followers, the followers did not identify with and support a leader. The social identity theory of leadership (Hogg, 2001) suggests that followers choose and support leaders who are more “prototypical” members of the group, clarifying the reason why followers might reject a leader with much greater intelligence than the typical group member has.

リタ・ホリングワースは、リーダーの知性がフォロワーの知性よりもはるかに優れている場合、フォロワーはリーダーと同一視せず、リーダーを支持しないことを発見しました。リーダーシップの社会的アイデンティティ理論 (Hogg, 2001) は、フォロワーがグループのより「典型的な」メンバーであるリーダーを選択してサポートすることを示唆しており、フォロワーが典型的なグループメンバーよりもはるかに優れた知性を持つリーダーを拒否する理由を明らかにしています。

こちらも「知性が高すぎると,異質なものと見なされて支持されない」旨が書かれている。

確かに人は「異質な者」かつ「立場が上の者」という状況になると「何をするか分からない恐怖」「同質のものではない」と無意識に感じ,排他的に扱う傾向はありそうに考えられる。

これは自衛のためかもしれないし,これ自体が悪いという意ではない。

(補足しておくと「IQが高いほうがリーダーに向いている。が,高すぎると…」という論である。)

3つ目については書籍の概要や章のタイトルが書かれているだけであるが,「結論」の部分に該当箇所があるという話題であった。

いずれもホリングワースの研究であり,彼女はおよそ100年前の人物である。

また,「IQが20違うと会話が成立しない」というよりも「IQが30以上高すぎると支持されない」となるよう。

(補足:「30」は「2σ」を言い換えたものとして使用されているよう。「30」と「2σ」が口伝で混用された結果「20」になった可能性もあるかなぁ?)

これが伝言ゲームを繰り返してゆくうちに「IQが20違うと会話が成立しない」となってゆくのだろうか。

それとも別の発生起源があるのだろうか。

2. タワーズ

もう1つは「『Grady M.Towers』が『Prometheus Society』の会誌『The Outsiders』に寄稿した素人の与太話である」との情報を見かけたので,これを探した。

https://www.discovermagazine.com/the-sciences/the-myth-of-the-30-iq-point-communication-range#.XIi5yij7SUk

↑元の記事。これはタワーズ本人ではなく,タワーズの言説について調べた方の記事。

The term was I think coined by Grady M. Towers in 1987 in an article called ‘The Outsiders’. Towers there said that Hollingworth implicitly defined the 30 IQ point communication range when she wrote that:

この用語は、1987 年に Grady M. Towers が「The Outsiders」という記事で作ったものだと思います。そこのタワーズは、ホリングワースが次のように書いたときに、暗黙のうちに「IQ30の差という会話可能範囲」を定義したと述べました。

IQ30の差という会話可能範囲

こちらのほうが俗説として広まったものであろうと推測されるが……。

この方も前述の「ホリングワース」の論を元にコメントしたよう。

この記事の執筆者の論によれば,「ホリングワースの論についてタワーズが自身の独自解釈をして広めた」ということになる。

以上の2つの内容から,「IQが20違うと会話が成立しない」は,以下のように広まった可能性がある

・ホリングワースが「IQが高いほうがリーダーになりやすいが,高すぎると周囲の支持を得られない」と述べる。

・タワーズがその論を見て「『会話可能範囲』があり,それはIQの差によるものである」と広める。

これらにさらに私の見解を加えると,「IQの差が大きい場合,高い側は異質なものとなり支持されないがゆえに,理解を示してもらえない。低い側は『異質なもの』に理解を示そうとしなければ『拒絶』にいきついてしまう。」となる。

あまりにスゴい方に対し「キモい」とする表現があるが,まさにこの「異質なものに接した」ことによる率直な感想として正しいのではないか。

スポーツやゲーム等でもあまりのスーパープレイを見せつけられると「(褒め言葉の意の場合も含めて)キモい」と感じられることはあるように思う。

会話を成立させようとするならば,高い側が「理解を示してもらえるように努める」のはもちろんのこと,低い側は「支持しないからといって拒絶しない」が必要となり,「これらの問題点が発生する可能性が高まる」という意であれば「IQによる会話可能範囲がある」と言えると考える。

とはいえ,あくまで「会話成立のネックになる要因のひとつ」であり,要因は別にもあることがほとんどであるとも考える。

これが以前の記事に書いた「高IQ者側の苦悩」ともなるのだろう。

まぁ,あくまでもこれらの論を受け入れた上での話になるが。

さて,起源はここまでしか調べることはできなかったが,他の起源があればご紹介いただければ幸いである。

長くなってしまったので,次の項はまた次回。

ノリでつらつらと書いてしまったのだけれど,今回の記事に関して何かご意見があればご遠慮なくいただければと思います。

たくさんの意見をいただけるとありがたいと考えています。

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