「理由」についての考察

「理由」についての考察

「理由」という漢字がゲシュタルト崩壊しそう…。

理由じゃなくても理由があれば納得

「理由」が「理由」になっていなくても,「理由がある」だけでだいたいの人は納得してしまうという。

この数か月で,これを実感する機会が多かった。

何で実感したのか?

「短縮営業」である。

「短縮営業」について思うこと

(以下,あくまでも「短縮営業」を批判する意図はなく,「理由が理由になっていないこと」「それについて表立って指摘する人がいないこと」に対するモヤモヤについて論じているだけですので,誤解なきよう。)

「感染拡大防止のため,営業時間を2時間早く切り上げます」

こういった貼り紙はよく見かけたもの。

コロナ禍の影響で,緊急事態宣言時など,感染を防ぐため短縮営業をする店舗がたくさん見られた。

「感染を防ぐ」のは大切であるし,「短縮営業」がそれにつながる場面も多い。

特にゲームセンターや遊戯施設,パチンコ店など,営業時間の長短が客の滞在時間に直結するものは顕著だろう。

が,ドラッグストアやスーパー,日用品店はどうか。

例えば,「いつも通り20時からドラッグストアへ買い物へ行こう」と思っていた人が,「短縮営業で20時閉店」となったドラッグストアへ向かうとどうなるだろうか。

この場合,生活必需品を買い物に行くので,20時より前,もしくは他の営業日に赴くことになる。

すると,時間変更して訪れた場合,平常時よりも時間あたりの客数が増えることにつながる。

「10時間の間に100人の客が訪れる店」から「8時間の間に100人の客が訪れる店」になるような感じだ。

結果,「短縮営業により,時間あたりの客数が増え,密につながる」といったことに。

店舗側の人にとっては,他に何か「感染拡大防止へつながる」といった理論があるのだろうか…。

「短縮営業」をする理由

「コロナ禍の影響で,経営が不安定になるので人件費を削減したい」という意図からの短縮営業なら納得する。

生活必需品を販売しているお店が潰れてしまっては困るし,皆が苦労している中,なんとか事業を存続してもらうことは大切だ。

だから,「短縮営業」自体は全く構わなかったのだけれど,「とってつけたような理由」を見るたびに釈然としなかったものだ。

…と,コロナ禍の中で「短縮営業」を見かけるたびにこんなことを思い,モヤモヤしていたものだ。

先日福山MENSAnと会話していたときにも,お互い同じ視点を持っていたので,「そうよね」と共感しあい,モヤモヤが少しスッキリしたこともあったが…。

このように,日常には「理由の内容」など理解・考察することができず,「理由の有無」しか気にしない場面がたくさん潜んでいる

私自身も「自分の興味が薄いものは理由の有無しか見ていないことが多いのだよな…」ということ,そして「理由の有無しか見ていない人が多数派なのだよな…」と肝に銘じて過ごしていかねばと身が引き締まる思いである。

(塾も,お金をとるときに「入塾金」という名目さえあれば理由など関係なく支払う方が圧倒的多数ですよね。「せっかく入塾金まで払ったのに…」とやめづらい気持ちを助長する効果があり,塾側にはメリット&メリットなのだが…。各塾に「入塾金とは一体何か」を聞いてみたいものだ。授業料を安く見せるために,いろいろな名目や講座をとってつけねばならないのは塾業界によくあることだが…。)