「IQはクソ」…わかりやすい名言である。
初耳学×大西拓磨さん
とても魅力的な人物である。
いろいろと紹介したいところなのだが,他者に説明されることを嫌う方であろうし,私から詳しい説明は控える。
その代わり,「私から見た大西拓磨さん」という視点で書いてゆく。
彼を初めて知ったのは,昨年放送された「素顔のギフテッド」というテレビ番組。
「『努力』を経験してこなかった」という発言に非常に共感を覚えたこともあり,初めて知ったにも関わらず,いちばん記憶に残った人物だ。
その後,ハイレンジIQテスト「CAMS」について調べるうち,当時歴代最高点を保持していた人物として改めて彼を知る。
人物について調べると,「年めくりカレンダー/世紀めくりカレンダー」なるものや…。
続けて東京藝術大学での軌跡などを知る。
高IQ団体「METIQ」について知り,そのMETIQに彼が居ることを知る。
私も高IQ団体「METIQ」に入るが,一度挨拶を交わした程度で,ほとんど接点もなく今に至る。
彼が自身の人生を紹介した記事,僕のしょうもない人生を紹介しますがネット上で話題になり,読む。
彼の作成したパズル欠片を知る。
…私が知っているのはこんな程度だろうか。
「IQはクソ」について思うこと
彼の発言の意図やTVの編集の都合はわからないが,最近私もIQについての考えを述べる機会があったので,なんとなく推測することはできる。
彼は,彼自身や彼の作品自身についてそのまま見てほしいのであって,「IQが高い人の作品」というフィルターを通さず見てほしいということではないかなぁと感じた。
私自身,彼を知ったきっかけは「IQが高い人」として紹介されてからであるから,作品に触れる前に「IQが高い」というフィルターを通して見てしまっている。
知ってしまった以上,このバイアスを排除できないため,素のまま楽しむことはもうできないのかもしれない。
私と「IQ」
ちょうどこの2月に,匿名で以下のような質問を受け,それに答えたところだった。
「IQが高い(ハイレンジIQテストで測定可能なIQが高い)事のメリットは具体的に何がありますか?」
これに対する私の答えは以下。
「人に認知してもらいやすくなる」
「高IQ団体の中の方と交流しやすい」
「主観的な評価や曖昧な評価ではなく数値による評価なので,検査名と照らし合わせればそれなりの信頼性がある」
これくらいでしょうか。
順風満帆な方には全く必要ないかもしれません。
以下,私事になりますが…。
私のように社会に適合できない人間としては,「肩書のひとつ」「自身の性質を他者に示すときに話が早い」といった面で役立っています。
IQについての知見が深い方ほど,その数値の意味するところを淡々と読み取ってくださるので,ホントにありがたいです。
現在の人付き合いの中には,高いIQ値がきっかけで認知していただき,親しくなれた方も多いです。
IQは「あるテスト(検査)で出した単なるスコア」であり,それをどう評価するかは評価者に委ねれば良いもの。
番組内で大西さんがスポーツに例えて語られていたが,私も同じ表現で話をしたことがあり,懐かしいなーと感じたりした。
(そのときは「砲丸投げ」ではなく,「ハードル」や「短距離」に例えたが…。)
私自身はIQスコアというフィルターを通して見てもらうことについては,むしろフィルターを通してもらったほうが話が早くてありがたいと感じている。
が,IQについて変に煽ったり,誇張した表現を用いるのはやめてほしいな…ということは常々思う。