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何かに没頭するとき,自分の好きなことをしているとき,情熱を傾けていることがあるはずだ。
心理学の研究では,情熱は2種類に分けられる。
強迫的情熱と調和的情熱だ。
字面を見ただけでも,なんとなーく優劣がありそうに見える。
情熱
「情熱」という言葉自体,使う場面によってニュアンスが変わってくるものである。
心理学では,「個人が価値があると思っている活動に対する愛好の程度であり,その活動に多くの時間とエネ ルギーを投資している」と定義することもある。
簡単に言い換えると,「好きな活動をするときの原動力」のようなものといえるだろう。
強迫的情熱
強迫的情熱は,外部からの圧力によって形成されるものだ。
「圧力」というと悪く聞こえるかもしれないが,例えば以下のようなものがそれにあたるだろう。(良い悪いは別として…)
「一番になるのが好きだから,かけっこが好き」
「ごほうびがもらえるから,お手伝いが好き」
「ほめられるから,勉強が好き」
「自分の存在に価値があると感じられるから,仕事が好き」
「続けることがスゴイと言われるから,毎朝走るのが好き」
「御朱印を集められるから,寺社巡りが好き」
「ログインボーナスがもらえるから,スマホゲームが好き」
…など。
これらは,「活動」が「人」を支配しているともいえる。
こういった,「活動自身」よりも「外的要因」に依存している情熱は,自分の意思で制御することが難しい。
「活動」ができなくなった場合,自我が崩壊してしまうくらい依存しているものもあるかもしれない。
継続していかなければならない…という気持ちに苛まれることもあるだろう。
また,「活動」ができていないときには思い悩みやすく,「活動」しているときには本来やるべき他の活動が気になりやすいといったことも指摘されている。
「燃え尽き症候群」になりやすいとも言われる…。
調和的情熱
調和的情熱は,自律的に形成されるものだ。
すなわち,「活動」それ自体が純粋に重要であると考えている場合で,例えば以下のようなものがそれにあたるだろう。
「ほめられることはないが,ウルトラマンの図鑑を眺めること自体が好き」
「筋肉を自慢したりする目的は無いが,毎日筋トレしている時間が好き」
「何を得るわけでもないけど,レゴブロックで遊ぶのが好き」
「ただただ,マインクラフトで建物を制作するのが好き」
…など。
これらは,「人」が「活動」を制御している。
こういった「活動自身」が純粋に好きである場合,「自由にその活動を選択している」というかたちだ。
継続するかどうかもどうでもよく,「やりたくなったらやる」し,「気分が乗らなかったらやらない」といったものになる。
活動中も活動終了後も,高い集中力や満足感などのポジティブな経験をしていると考えられる。
まとめ
「情熱」と聞くとただただ良いものであるように思えるが,足かせとなることもある。
「強迫的情熱」は,「活動」が「人」を支配しており,人は依存してしまっている。
「調和的情熱」は,「人」が「活動」を制御している。
「調和的情熱」が「強迫的情熱」よりも良い影響を与えることが多いが,場合によっては「強迫的情熱」のほうが良い影響を与えることもある。(為末大選手は,「一番になることに価値を感じるからハードルに転向した」といった旨を明言しており,結果を出している)
現在の教育現場では,「強迫的情熱」を呼び起こしてノルマをこなすことを重要視することが多いが,実際には「調和的情熱」を呼び起こして意欲的に学習できるよう促すことが望ましい。(難しい理想論ではあるのだが…アクティブラーニングの目指すところもそれだろう。)