【本】ここちよさの建築(広大附属福山中入試の国語2024)【国語】

Posted on 2024年2月4日【本】ここちよさの建築(広大附属福山中入試の国語2024)【国語】 はコメントを受け付けていません

鉄は熱いうちに打て?

広大附属福山中の国語の出題

著作権の関係で,入試当日でないと問題を確認できないもの。

「ともや塾」にそろえられている本を紹介。

今回は2024年度入試に出題されたもの。

ここちよさの建築

著者は光嶋裕介氏。

『目次』や『はじめに』といった項目,それから挿絵や写真を含めて105ページの書籍で,1時間程度でスッと読めた。

つまり,面白かった。

建築家の方が『建築とは何か』を自身の考え方を伝えるかたちで書かれた書籍である。

建築の話題ではあるのだが,私は科学・芸術・環世界・他者などとの折衷の在り方として読んだ。

深く頷く部分の多い書籍であったが,特に以下の部分を抜粋させていただく。

本来,学びとはゴールや答えに最短距離で到達することではありません。本来の学びとは,それ以前の自分と今の自分が変わり続けていくということなのです。学べば学ぶほど自分自身が少しずつ変わり続けていく。そのような学びの体験を育むためには,時間を感じる必要があります。

(『ここちよさの建築』より)

『で,答えは?』といった画一的な解答のみを知ることを目的とした場を見かけることがある。

これは子どもたちに限った話でもなく,また問題集的なものの解答にも限ったことではない。

本来『なぜそのような解答に辿り着いたのか?』をもとに,『条件が変わった場合にはどういった視点で見て,どのように対処してゆくのか』が必要なものごとである。

ここでいう『条件』とは場であったり,対象であったり,文化の変容であったり,また変化した自分であったりする。

他者の解答を参考にしながらも,その他者がどのような考察によりその解答に辿り着いたのか,また自身がどのような考察をして自身の解答に辿り着いたのか,そういったことを共有するプロセスを楽しんだり,またそれにより自身の考え方が変化してゆく,これを大切にしてゆきたいものだ。

大切なのは,建築を自分なりに翻訳してみること。わからないなりに,自由に解釈してみること。それをただただ続けることです。自分にとってさまざまな意味をもち得る建築や空間からのインプットに対して自覚的になり,何がどうだったかということをその都度自分なりにアウトプットしてみることが重要なのです。

(『ここちよさの建築』より)

これは建築に限ったことではないと感じながら読んでいたもの。

この仕事で子どもたちと関わっていると,『アウトプットが苦手である』子が少なくないことに気付かされる。

これは,アウトプットするための語彙の不足,自身の考えていることや思いを日本語表現でアウトプットする経験の不足,また『間違いを恐れる』ことに対するアウトプットの不足等が考えられる。

私が毎日このブログにさまざまなことをアウトプットしているのは,情報発信や集客の目的もあるけれど,『自身の考察を言語化してアウトプットしてみること』といったものが大きな目的のひとつ。

これを軽視していると,なぜか同じ主張をぐるぐる繰り返し何の進歩もない状況に陥るといった場に遭遇しがち。

叩き台で構わないから一度アウトプットしておけば整理され,自身の考察を客観的に眺めることで新たな進歩が得られることが多々ある。

そのほか,自身が常に不完全であるためであり『そのときの自分がどのようにアウトプットする(した)のか』をあとで観測することもでき,常に自己変容することができるのも大きな利点である。

(実際,1年後くらいに読み直すと『このときの自分はこのようなことを考えていたのか……』と思わされることが多い。何気なく述べたことが,子どもたちや保護者様方から『先生が仰られていた○○という金言,とても大切にしています』等と改めて自分に返ってくることも少なくない。)

他者から見れば『あのときとこのときで矛盾があるが……?』といった部分も見受けられるだろうけれど,生暖かい目で見守っていただきたい。()

僕はこの環世界説に感銘を受け,建築と身体の関係について改めて自分なりに考えるようになりました。というのも,生き物は種によって見ている世界が違うのであれば,同じ種の中でも個体によって見ている世界は少しずつ違うのではないか,と思ったからです。つまり,異なる身体をもつ人間一人ひとりにそれぞれの環世界がある。そう考えたわけです。

(『ここちよさの建築』より)

これも先述のもの同様,建築に限ったことではないなぁと思いながら読んだもの。

同じ場で同じものを共有していても,どのように過ごしたか,どのような体験と感じたか,何をインプットしたか,どのような見解をもったか,どのような評価をしたか,──これらは人それぞれ。

私は進化心理学の視点などで述べられる文脈での『多様性』は大切にすべきであろうという立場である。

(現実社会では『多様性』を盾にただただ「自身のわがままを認めろ」と他者に要求する場が悪目立ちしており,『多様性』という語自体がセンシティブな扱いなってしまいとても残念だなと感じている。)

ところで。

出題されたのはP.8-27の第1章『そもそも建築って何?』ほぼまるまる1章分。

このうち『工業化・近代化』の詳しい説明内容の部分が省かれていたり,『分離』といった語が『切りはなし』という語に適宜置き換えられていたりといったかたち。

本文100ページたらずの書籍からほぼ20ページも出題するのはなかなかの割合だなぁと思いながら読むなど。

本書はフリガナもふんだんにふられており,普段活字を読まない人にも読みやすい文章になっていると思う。

受験を終えた人は記念に購入してみては。(宣伝か?)