皆でアイデアを考えるとき,知恵を出す人はたくさん居ても良い。
だけど,方針を示す人は少ないほうが良いだろう。
船頭多くして船山に登る
「指図する人が多すぎて,物事が見当違いの方向へ進む」といった意のことわざだ。
組織の中にリーダーが2人おり,全く違う提案を推しあったりしている状況が目に浮かぶ。
さて,何気ない声掛けであったとしても,指導者によっては正反対のことを言っていたりするもの。
例えば,2人の講師A,講師Bの指導を受けていたとして,…
講師A「ええ緊張感をもっていけよ!」
講師B「緊張せんようにリラックスしていけよ!」
…と声掛けをしていたとする。
それぞれの講師は,自分の信念に従って,良いアドバイスをしているし,あからさまに悪い声掛けをしているわけではない。
方向性の違う声掛けでも,そのどちらもが正しいこともある。
だけど,子どもとしてはどちらの声掛けに従うべきなのか…といった葛藤がうまれることがある。
2人の講師が担当することによるリスク
次のようなこともあるかもしれない。
講師A「国語の点数はこの1か月で上げることができる。目的をもってやってこう。」
講師B「あと1か月。今さらやっても国語の点数は上がらん。それより他の科目に時間使おう。」
…こうなると致命的だ。
子どもが講師Aが好きか,講師Bが好きかで受け止める内容が選択となるだろう。
講師Aが好きだった場合,講師Aの指導科目には力を入れるかもしれないが,講師Bの指導科目は話半分になってしまうことも。
いちばん良いのは講師Aも講師Bも信頼していることなのだが,細かい言動まで講師間で全て共有するのは難しいだろう…。
学年により担当講師が代わることのリスク
5年生のときの担当講師を全力で信頼していたとする。
そして,6年生になるときに担当講師が代わる場合。
5年生の担当講師は最後に伝えるはずだ。
「6年生になったら,6年生の先生の言うことを聞くように。」
といったことや,6年生の講師の良いところなどを。
だけど,どうしても細かい方針に食い違いが出る。
そのとき,今まで長い期間一緒に過ごした講師の言うことと,新しく担当する講師のどちらの言うことに信頼を置くかというと,こと初めのうちに限ればやはり前者となることが多い。
講師が代わって1か月くらいは,講師は授業をするし,子どもも授業を聞くのだけれど,子ども側はどのような講師なのか様子見しながら学習,講師側もどのような子たちなのか様子見しながら授業,…といった状況はなかなか避けられるものではない。
保護者と講師の食い違い
いちばん怖いのはコレだ。
日常的に子どもと時間をともにする時間が長いのは家族であるし,今後の人生を一緒に歩んでいくのも家族だ。
だけど,保護者と講師がどれだけ同じ方向を向いていたとしても,どうしても細かい食い違いは避けられない。
(完全に一致していたらもはや同一人物ですからね…。)
その中で,私の方針としては,「家庭の教育方針は最大限尊重する」が,「受験指導に関しては全て任せて欲しい」といったところだ。
家庭にお願いすることがあるとすれば,
「子どもの送迎(徒歩・自転車可)」
「授業料(現在は無料なのでなし)」
「食事など日常生活」
「願書の管理や受験料など入試に関わること」
「読書する機会をつくる」
「しっかり睡眠時間を確保する」
「家庭での子どもの様子を教えていただく」(塾での様子と家庭での様子は多くの場合異なるので…。)
…といったことだ。
勉強に関することであれば,「子どもから要望があれば,暗記学習を一緒にやってあげる」といった程度だ。
特に算数については,すべて任せていただけるとありがたい。
まとめ
科目による講師の交代,学年による講師の交代,そして保護者の方々…全員「子どものため」を思い,同じ方向を向いて教育しているのは当然なのだけれど,細かい部分まで考えれば,指導方針が完全に一致することは無い。
食い違いが生じた場合,熱心な子ほどその食い違いに敏感であるし,その場合のケアを考えることは大切であるが,その前に食い違いが起きる可能性を減らしておくべきだ。
算数はなるべく塾(ふだん教えてくれる指導講師のいるところ)で。