【算数】『正方形は長方形』が話題に
文脈。
『正方形は長方形』が話題に
元のPostは鍵にされたか削除されたかっぽい?
ポイントのみまとめてゆくと,確か以下のようなPostが発端だった。
・学校で『長方形をすべて選べ』という問題で『正方形』も含めて解答したら不正解となった。
・保護者がその教員に問うと『正方形は長方形ではない』との回答。
・保護者からの『正三角形は二等辺三角形ではないのか。二等辺直角三角形は二等辺三角形ではないのか』に対し,教員は『正三角形は二等辺三角形ではない。二等辺直角三角形は二等辺三角形だ』との回答。
(一般的な呼称は『直角二等辺三角形』だが,元のPostは『二等辺直角三角形』だったと記憶)
このやりとりは『超算数』の部類に入るだろう。
(注:超算数とは,一部の教員の身勝手ルールに対する皮肉のようなもの。)
改めて『正方形は長方形か』に対する算数・数学における扱いは,議論の余地なく『正方形は長方形である』。
どうしてこのような理解の分断が起きるか。
これを考察すると,実は理由は多岐にわたることが考えられる。
簡単に思いつくだけでも以下の要素が思い当たる。
1. 日本語の助詞『は』が,『=(等値関係)』を表す場合と『⊂(包含関係)』を表す場合があり,文脈によりこれを区別する必要がある。
(もちろん,『は』はこの他の扱いもあるが,今回はこの2つに絞る)
『=(等値関係)』についての具体例は『日本の首都は東京である』。
『⊂(包含関係)』についての具体例は『キリンは動物である』。
前者は,『日本の首都=東京』で,前後関係を入れ替えて『東京は日本の首都である』も成り立つ。
後者は,『キリン⊂動物』で。前後関係を入れ替えて『動物はキリンである』は成り立たない。
今回は,算数の出題で『長方形をすべて選べ』という旨から,長方形のカテゴリに含まれるものをすべて選ぶ問いであるから,正方形を不正解にすることはできないはずだ。
2. 小学校教育で初めて正方形と長方形を扱うとき,並列で扱うから無意識に排他関係であると理解してしまう。
こっちが正方形,あっちが長方形……といったイメージから入らざるを得ないから,初学者への分かりやすさを鑑みればある程度やむなしのところはあるか。
しかし,その後の算数・数学教育で包含関係であると学習していくことになっている。
(学びに関心があればね……。)
(余談:詳細に学習するのは中2数学。義務教育の範囲である……うーむ。)
3. 日常使いするときとの違い
日常的に正方形を見かけたとき,何の前提も無い場合,正方形を見て『長方形!』と述べることは通常ない。
逆に,他者が『長方形!』と述べたものが正方形であることも通常ない。
辞書によっては『長方形』の項目に『正方形ではない』と書かれているものもあるとか。
辞書の編纂過程を鑑みれば,語義を考えて決めてゆく人も忙しいだろうから,そういうこともあってしまうかと思い当たる。
辞書によって書かれている語義はさまざまである。
辞書は参考にするものであって,絶対的なものと見做してしまう利用者になってはならない。
(余談:『舟を編む』を読む/視聴することで,辞書編纂の理解の助けになるかもしれない。)
(余談2:ちなみに新明解国語辞典では,『広義では正方形を含み,狭義では正方形を含まない』とされている。)
4. 長方形の名称の『長』の字義が誤解を生む
タテとヨコの長さの違いをイメージして名付けられたのではないか,と考えられる漢字が当てられている。
これが『直方形』であればこのような誤解は生まなかったのだろうけれど……。
私の授業を受けたことのある子どもたちならお分かりの通り,『字義が大切』という指導と,算数・数学の用語についてそれぞれ個別に『この語は字義について考えるべきでない』という指導を日ごろから行っている。
これは,言葉の成り立ちから『ただ慣習的に当該の文字が扱われているだけ』の場合があるから当たり前のことである。
たとえば,『正の数』『負の数』について,『正』『負』の字義については考えないように述べている。
(むしろ,この学習により,子どもたちそれぞれの辞書に字義が追加されると考えることもできる。)
『ただ慣習的に扱われる』ということがらは,化学を学習した高校生であれば,『K殻』がなぜ『K』なのかという問いを立てることなどで経験したことがあるだろう。
ともあれ,このような議論の余地のない超算数のようなものに大切な時間や感情,それから成績を振り回されないためにも,自分の所属する環境は選んだり勝ち取ったりしてゆこうね……。
(……この着地点は考えていなかったが,今回の締めはこれでええか。)




