6年前の6年生からの報告
この塾ももう一巡したのだなぁ。
6年前の6年生からの報告
大学入試に関わらなくなってはや13年。
国立大学2026年度入試の前期試験も終わり。
SNSを眺めていると,東京大学の数学難化で盛り上がっていた。
そんな矢先,久しぶりにとある御仁から連絡が。
東京大学(中略)に行くことになったので、ご報告します
おめでとうございます!
6年前の6年生である。
個人で塾を始めてみようかなと考えたときに,ともや塾の門を最初に叩いてくれた子だ。
入試までのほんの1ヶ月,中学準備講座を併せてもほんの2ヶ月程度のやりとりだったけれど,探究心をもって学習に臨み,スポンジのように吸収してゆく様子が昨日のことのように思い出される。
私の指導は,期間にしても内容にしても,文字通り『手を添える』程度のものだった。
あの短い期間のできごとが,本人にとって少しでもプラスに生きておれば,こんなに嬉しいことはない。
(逆に,マイナスになっておればあまりに申し訳ないともいえる。)
純粋に,あの頃のまま成長してくれたのだと嬉しくなる。
6年間のことを話す機会など全くなかったから,本人としては山あり谷ありひたむきな努力あり,ご家族の支え,それから中高でのメンターとなる師とのやり取り──さまざまあったことだろう。
私など比べるべくもない大物になってゆくことに胸がふくらむ。
人生においてたった一瞬の邂逅であったにもかかわらず,連絡をくれたことにも感謝。
(高校生・大学生ともなると,小学生の頃の担当者など遠い過去の記憶であり,連絡しない人も多いのでは。)
さて。
私は大勢を変えられるような人間ではないけれど,未来ある子どもたち個人個人に少しでも力添えする,それが私の自己実現。
開塾当初とは異なる部分は『学習意欲のある』を接頭辞につけねばならなくなってしまったことか。
(これは異なるというより前提を見誤っていただけであろうか。)
いま,2019年当初にブログに書いていたことを振り返ると,「若い人こそ大切にしなければならない。」という部分は今も変わらず一貫している。
↓書き始めた当初のブログ。今より意気盛んな文体だなぁ。
(なんと記事番号も84と2ケタ。本記事の番号は15912です。)
せっかくの吉報にもかかわらず,以下ネガティブともとれる話題。
いま気になっているのは,三原市内の小学校の1学年の人数が年々減少していること,そしてその中でも探究心をぶつけてくる子の割合が少なくなってきていること。
ゆえに,そろそろ私の役割も終えたのではないかなと考え始めているところ。
問いの立て方すら身につけていないどころか,抱いた疑問と向きあうことを放棄している子によく出くわす。
今までの目の前の6年生を見ていると,1年を通してこれを身につけながら5年生から6年生になってゆく子も多いからこれが救いか。
先述の探究心の減少については,現在の学校教育課程の崩壊にも起因しているのかなと考えていて。
ん?この話長くなるかな?
いま,学校教育ではアクティブラーニングや探究活動と称してグループワークなどに比重を置いているのだけれど,基礎や前提がないままグループワークを行うようになってしまっているようで。
たとえるならば,
『長崎県がどこにあるのかすら知らないのに,長崎県について議論してみましょう』といった,憶測だけでものを語る何も生まないことに時間を割いている,こういった状況。
知識だけではどうにもならないけれど,知識すらなければ何もできない。
問いを立てるための背景すらない状態で問いを立てさせられている。
──こういう現状のよう。
学習意欲のある子たちの力添えはしたいけれど,そういったことを望まれていない場でムリヤリ押し上げるものでもない。
いまの私の課題は,この現状とどう向き合うか……か。
ともあれ,6年前に塾を始め,毎年のように前向きに学習してゆける子たちと出会えている奇跡,そして塾を見つけて門を叩いてくれる人たちに感謝。
お祝いの記事のつもりだったのだけれど,内省がメインのような記事になってしまったなぁ。申し訳ない。
あ,こんな記事書いていると,また憶測でデマが流れてしまうのかしら。
デマ流し師にならぬよう,またそれに加担せぬよう,よろしくお願いします。




