「成績が上がった」「成績が下がった」…よく取沙汰されることだ。
私の好きな執筆者の記事でも「成績アップを掲げない塾はダメ」とバッサリ切り捨てられていたし, 学校対応補習塾や公立高校受験塾であればそれもアリかなと思う。
だけど,中学受験塾,大学受験塾であれば,「成績アップを掲げ,学力が上がっていないのに上がっているように見せかける塾はむしろ危険」だと考えている。
「成績」の意味
成績とは「評価」や「試験結果」だ。
これは,「学力」とは必ずしも一致しない。
評価
「評価」とはいったい何だろうか?
これは評価する主体によって異なる。
「学校の成績」であれば,学校の先生がガイドラインに沿って付けた評価になる。
つまり,「定期テストの点数」と「平常点」だ。
「定期テストの点数」は,総合的な学力を上げること,現在の単元の理解度,テスト作成者の傾向を知っていること…これらが影響する。
このうち,「テストの点数」に限って言えば,「テスト作成者の傾向を知っていること」…,もっと言えば,同じテストを使いまわす先生が作成者であれば,「そのテストを知っていること」がいちばん重要となる。
だから,学力と全く関係ないわけではないが,「定期テストの点数」と「総合的な学力」は必ずしも一致しない。
「平常点」は,提出物や授業態度などだ。
これはハッキリ言って学力というより生活面。
生活面に関しても,「管理者に対して都合の良い態度が取れるかどうか」という生活面であるから,「学力か?」と言われると,うーん…。
学力の高低によらず,内申重視の入試では,「学校の成績」が重要になることも多い。
すなわち,学力が高かろうが「学校の成績」によって不合格になることもあれば,学力が低かろうが「学校の成績」によって合格になることもあるということ。
だから,「学校の成績」がそのまま反映される入試を受けるならば,「成績が大切」ということになるだろう。
試験結果
「点数が良い悪い」,「平均点より高い低い」,「偏差値が高い低い」,…こういった表現をよく聞く。
が,この情報だけを聞いても,ハッキリ言って意味が無いと考えている。
前提として必ず必要なのは,「試験の趣旨は何か?」「母集団はどのような集団か?」だ。
小テストや確認テストであれば…
その日にやったことの確認であるから,不確かなところがあれば,点数は低くなる。
基本事項をミスしておれば,1割くらいしか取れないこともあるかもしれない。
だけど,目的は「確認」であるから,「ミスの原因」を究明し,次につなげることが目的だ。
「不確かだったことを確認することができ,次に活かせる」という意味では,点数が低かろうが,確認テストを受けた意味は大いにあったといえる。
模試であれば…
・点数を高くする方法のうち,いちばん簡単なのは…
→ 自分にとって易しい試験を受ける
・偏差値を高くする方法のうち,いちばん簡単なのは…
→ 学力の低い層がたくさんいる試験を受ける
事実,高校生向けの全国模試でも,「学校単位で受験する模試」と「個人単位で受験する模試」では,偏差値が大きく異なることも多い。
これは,「学校単位で受験する模試」は,大学に進学しない子たちもたくさん受けるものがあるから。
同じ学力でも,受ける模試によって偏差値が大きくかわるのだから,偏差値を見ても何とも言えない…というのは当然だろう。
模試のながめ方…
高校生であれば,何より「自分の志望大学・学部・学科内での,定員に対する自分の順位」がいちばん参考になる。
なぜなら,多くの場合,目的は「志望大学合格」であり,「1番を取ること」や「平均点以上を取ること」ではないからだ。
小学生や中学生でも同じだ。
必要なのは「平均点より高い低い」などではなく,「自分の目標に対して自分はどの位置にいるのか」だ。
(「平均点」という言葉は,数値を参照しているものであるためか,学力の基準にされることが多い。説得力のあるもののように思えるが,多くの場合,意味は無い。平均点よりも「中央値」や点数ごとの人数グラフと見比べた自分の位置のほうが重要であることが大半。)
以前,小学6年生の冬に,とある塾から変更されたという方からこんな話を聞いたことがある。
「小学6年生の冬まで『受験に対応している』と聞き,塾で見る成績は良かったのに,現実は全く受験に対応できていなかった。」
そう,学力を良く見せかけることは簡単だ。
「評価軸」を調整すれば「成績」を操作することはできるのだから。
「評価軸」は,受験してもらうテストを誘導したり,自作であれば自作のテストを調整することで可能であるし,教育サービス業のうち「サービス」に重きを置く塾であれば,躊躇なくごまかすことができるだろう。
小学生・高校生については,中学入試・大学入試は実力主義であるからこそ,「学校の成績」や「塾内の成績」などという「学力まがいのもの」に振り回されてはならない。
そう考えている。