(↑講師ともやを探せ!)
いつの間にか,「ともや塾」ホームページを開設して一周年となる。
本日は自分用の備忘録よろしく,今までのできごとを振り返りながら淡々と書いてゆく。
退職から構想に至るまで
とある疾病,不幸,さまざまなものごとが重なり,会社を辞めた。
これが2018年8月のこと。(授業から退いたのは,5月。)
誤解を怖れずありのままを述べると,「教育には2度と関わりたくない」と感じるできごとを経験し,それが重くのしかかっていた。
ミニリタイアメントよろしく,1年以上ぷらぷらと時を過ごすこととなった。
「無為な時間」ともいえるが,この1年間は,私にとって社会に出てからいちばん価値のある1年であったと考えている。
「少しでも時間があればできるだろう」と考えていたこまごまとしたことを,たくさん行うことができた。
収入はなくとも,哲学,読書,ドライブなどに明け暮れる充実した日々だった。
何より在職中は20連勤は当たり前,自分の時間などほとんどなかった。
「自己肯定感」をゴリゴリ削られる環境から逃れることができたのはとても大きい。
(まぁ,現状も1日まるまる休める日はほぼ無いのですけれど…気の持ちようが全然違います…。)
また,「IQ検査」を受ける予定は無かったのだけれど,ひょんなことから「ウェクスラー式知能検査」を受けることになり,ここでIQが高いことを知ることができた。
この流れで「MENSA」に入会することができた。
半年経ったころから,とある個人ブログを毎日更新し始めた。
始めた理由は後述するが,この「ブログを書く」という行為が功を奏した。
…というのも,毎日考察をアウトプットすることにより,これまた自己と社会との関わりを見つめ直すことができた。
(このブログは半年で閉鎖)
結果,2019年8月下旬,「個人塾」を思いたつに至る。
刺激を受けた人物
前述した通り,「教育には2度と関わりたくない」と感じるできごとに出会ったのに,なぜ戻ってきたのだろうか。
幾名かの人物が関係している。
1.毛利衛先生
前職を辞めてからというもの,何度も電話やメッセージをいただいていた。
「ともや先生!塾始めましょうよ!」
「ともや先生!今年度最後に子どもといろいろ話していたんですけど,辞める直前のクラスの○○君覚えてます?数か月しか担当してないはずなのに,『ともや先生がいちばん好き』って言ってましたよ!」
「個人塾」について構想し始めたのは,毛利衛先生がきっかけだったといって間違いないだろう。
今年2月に尾道浪漫珈琲で雑談したのが最後だけれど,お元気だろうか。
2.A君(2018年度小6生)
2018年度は,年度前半で退職したので,受験に関わっていなかった。
が,そんな中で,ただ1名だけ受験指導に携わることになった。
なぜ関わることになったのだろうか?
広大附属福山中の文化祭において,たまたま保護者と再会したのがきっかけであった。
ご兄弟が小6生のときに受験指導し,そして弟のA君も小5生として理科を指導したことがあったので,私のことをよくご存じだったのだ。
それからは,毎週のようにLINE上で指導(監督?)をすることに。
結果,みごと広大附属福山中に合格した。
(割合にすると,1/1=合格率100%である…この記録はもう超えられないナァ…。)
彼の受験指導に携わったのがきっかけで,「やっぱり私は教育が好きだなぁ」とか,「私の力を必要としている方は,少数ながらいらっしゃるのだろうなぁ」とか,そういったことを感じることとなった。
そして,彼の合格を機に個人ブログを始めた。
3.木村威夫先生
前職のセンパイにあたる。
山口県周防大島町にて,2017年から個人塾を始められている。
私がぷらぷらしていた時期に,一度おじゃましたことがあったのだ。
個人塾であるからこそ,「自分の信念を貫いて教育をされている姿」を目の当たりにすることができ,大きく刺激を受けた。
その後,もう一度訪れることになったり,「リモート授業」について逆にアドバイスを求められたり…。
↓木村威夫先生の「きや塾」を勝手に紹介。
http://www.kiyazyuku.com/index.html
…この1年間のできごとを書こうと思ったのだけれど,2年前の1年間でずいぶんボリュームを書いてしまった。
続きはまた後日書こう。