教育関係のニュースを見ていると,英語がよく取沙汰されている。
「日本の英語力は世界で53位」などの情報が話題になったのも記憶に新しい。
53位と言ったところで,「英語力とは何なのか?」をハッキリさせなければ意味がないし,日本の義務教育は入試のための英語の指導がばかりで,コミュニケーションをとるための英語はまた別物であると考えている。
そして,教育現場にいると感じるのが,英語力への危機感より国語力への危機感だ。
読むこと
昔から「読み・書き・算盤」と言われるほど,「読むこと」は大切だ。
だけど,「正しく読めない」「字面は読めても,意図が読めない」「行間が読めない」,…そういった人は多いと思うし,私自身も「読めない」ことはいまだにある。
小学生の指導をしていると,「算数の問題の意図が読めない」といった子たちを見かけるのは日常茶飯事だ。
だから,大人が「この問題の意味はこうこうこうなのよ」と教え,それを聞いてから問題に取り組む子もいるという。
だが,試験のときに問題の意図を教えてくれる大人はいない。
子どもたちが自分で問題の意図を読めるようになるべきだ。
試験に限らず,将来的には自分で意図を読み取る力が必要なことも明白である。
インターネットの記事か?本か?
私は,必ずしも良い意味ではないが,学生のころから「現代っ子」だとか「新しい人間」と評されることが多かった。
高校生のころから文書を読むのはほとんどPCで,「活字なんて,本よりインターネットのほうが情報があふれているのだから,いつだってインターネットの記事を読むほうが何物にも勝る」,そう思っていた時期もある。
今でも「ニュースなどの最新情報を得たいときや,調べものをするときはインターネット」であることに変わりはない。
だけど,本もかなり読むようになった。
今年読んだ本の中で,学ぶことが多かった10冊は次のような本だ。
「道は開ける」ーデール・カーネギー
「Think clearly」-ロルフ・ドベリ
「FACT FULNESS」ーハンス・ロスリング他
「死とは何か」-シェリー・ケーガン
「アドラー心理学入門」ー岩井俊憲
「林修の仕事原論」-林修
「未来の地図帳」ー河合雅司
「桜井政博のゲームについて思うこと2015-2019」-桜井政博
「超効率勉強法」ーDaiGo
「上級国民/下級国民」-橘玲
私はエビデンスに基づいた情報や思考法,哲学や心理学といった分野が好きだ。
本を読んでいると,筆者に導かれた流れに沿って読み進んでいくことになるが,ある程度批判したいところがあっても,「自分ならこの思考法をどう使うか」などについて考えながら読み進めるのが面白い。
だから,創作よりも事実について書かれた本が好きなのかもしれない。
何を読むべきか?
どんな本でも良いから,「あ,これちょっと興味ある!」といった本を手に取ってみるのがいちばんだ。
だから,インターネットで探すというよりも,図書館や大きな書店に行ってみるのが良いだろう。
私の場合,「この本をここで見つけなかったら,こんな考え方をするようにはならなかっただろうなぁ」といえるような本が,今ではたくさんある。
図書館や書店は,インターネットと違い,自分が今まで気にもとめなかったような情報に出会うことができるのも大変良い。
今興味が無かったとしても,ちょっとでも時間が許せば,新書や文庫本を眺めてみるのも楽しいし,古本屋にいけば,もっといろいろな本に出合うことができるだろう。
本を読むようになってからというもの,カバンの中に常に文庫本を1冊持ち歩き,待ち時間などがあれば読むというクセがいつの間にか身についた。
まとめ
インターネットの記事,紙の本,どちらにも利点があるから,自分の生活スタイルに合わせて上手く活用すべきだ。
最新情報を得たいとき,ひとつの情報を色々な角度から見たいとき,軽く調べものをするとき,様々な人の意見も同時に読みたいとき,…などは,インターネットが便利だ。
読み物を読みたいとき,好きな著者の著作物を読みたいとき,まとまった情報を得たいとき,自分の興味の幅を広げたいとき,…などは,紙の本が便利だ。
長い文章を読むのが難しければ,短編集や絵本なんかでも良い。
とにかく,「あ,これ気になる」といったものに片っ端から手を出してみて,時には途中やめしても良いから,「読み始める」ということをやってみるべきだ。
そういった意味では,国語の読解教材はいろいろな文章に触れることができるし,長すぎないからふだん本に触れる機会が無い人にも読む機会を与え,自分の好きなジャンルしか読まない人にはふだん読まないジャンルを読む機会を与える,ある意味読書の救世主的存在だなぁ…と今更ながら感じる。