(追記)邪推される可能性があるなぁと気づいたので断言しておきますが,「『ともや塾に通われている・通っていた方』とは全く関係ありません。」
(中身のある情報を発信するには常にリスクが伴うナァ…。)
台風休講にしたおかげで読みたかった本を2冊読み終えまして。
何事にも「不満を述べても仕方のない場合,この機会をどう活用するか」が大切であるもので。
「欠席したら追いつけない」
前職で何度か耳にした内容である。
もしこれが本当であれば,1回1回の授業に大きな意義があるということである。
この文言だと,出席しておれば,欠席した状態よりも成長した状態になっているということの裏返しであるからだ。
授業で私がいつも意識していることだけれど,「目の前の問題を解く」とか「周囲に追いつく」とか,そんなことよりもまずは「この機会を通して自身が成長する」ということが大きな目標である。
その目的達成の手段として「目の前の問題を解く」とか,ペース作りの手段として「周囲に追いつく」とか,そういったことが必要になることがある。
で,欠席した授業はもう欠席したのだから,「その分をどこかで補うためにどうするか」が次に考えることで,補うためには「授業前・授業後に前回何をやったか確認する」とか「補習を受ける」とか「自習してみて気になったところを質問してみる」とか,現状がカツカツであれば,少し日常生活に余裕ができたタイミングでも良い。
手段はいくらでもある。
「出席していた状態と同じ状態にしてくれ」という主旨の要求を耳にしたこともあるが,そもそも出席していたときにどうなっていたかは不明であるので,これは見当違いである。
繰り返しになるけれど,「この機会を通して自身が成長する」ことが第一であり,授業にしても宿題にしても,それは成長するための単なる手段であるということ,そして欠席した場合には「それを補うためにどうするか,現実的に考える」ことだ。