例のかまれた事件について思うこと

Posted on 2021年8月12日例のかまれた事件について思うこと はコメントを受け付けていません

(1週間ほど前に書いてオチがないのでどうしようかと思っていたら,続報があったので。)

「胸糞悪い」というのはこういったときに使用するのだろうなぁ…。

例の事件

私は復讐について関心がないし,市長が成長するとか改心するとかは,今後のことであって今回のメダルを護ることのできるものではないから,市長については特に言及する気はない。

加害者叩きをして被害者が救われるとも思わないので,特に叩くこともしない。

彼への制裁については,当事者自身,当事者を守る会社,そして社会が行うことであって,私の意見するところではない。

(もちろん思うところはありますが…。)

私は当事者ではないのであくまで憶測であるけれど,「被害はどうか」のみを考察してみようと思う。

「一世一代ともいえるスポーツの祭典で獲得した最上級の証」を穢された

長時間の練習,そしてオリンピックの大舞台での活躍,それらの証を穢された事実,これだけでも被害が大きい。

通常であれば,「最高の思い出のひとつ,誇らしい思い出のひとつ」,これを想起させるものとなったはずだった。

堂々と飾れるものになっただろう。

「今後の人生を支えるもののひとつ」となることもある。

が,それが「苦い思い出,汚らわしい思い出」に上書きされてしまったのだ。

他者から見ても,「あーあのかまれた金メダルね」という視線は免れない。

例えば「金メダルを獲得したオリンピック選手」として子どもたちに夢を与えようと活動しても,今回の件を知っている子どもから「あの噛まれたやつでしょー」などとツッコミが入ることは容易に想像できる。

子どもの無邪気さゆえに,ある程度仕方のないこととはいえ,もうスッキリした気持ちでメダルと向き合うことはできないのだ。

もし交換することができたとしても,この一連の事件の記憶をかき消すことは難しいだろう。

「このチームで獲得した金メダル」「自国開催のオリンピックで獲得した金メダル」はもう今回の事件とセットになってしまうのだ。

交換は難しい

組織委によれば「メダルの製造瑕疵(かし)があった場合のみ、組織委員会が窓口となり無償で対応する。それ以外(今回の人的行為により歯形が付いた場合など)は対象外」とのことで。

組織委側に立てば当然のことで。

このような何らかの事後のできごとでの交換を容認してしまえば,さまざまな悪質な要求までまかり通ることになってしまう。

ましてや世界規模の祭典の組織委が,ある一国の,ある市の市長の行為で疵物になったものに関して動くとはとうてい思えない。

なんとか社会に納得のいくかたちで正当性を示し,世論に訴えることができれば可能性はなくはないけれど…。

たとえ交換したとしても,この事件の記憶は残り続けることを考えると,完全になかったことにはならないのだろうなぁ…。

加害者側に制裁しても,この件自体には無意味

「復讐」ばかり考える方も居るけれど,「復讐」は牽制として役立つ場合のみ意味がある。

今回の件はもう完全に済んでしまったことで,いくら牽制したところで「第二の被害者が出ないようにする」ことはできても,今回の件は何も拭うことができない。

日本全国に注目されたことにより,逆に多くの方が知る事実となってしまった。

…そんなことを考え,「救いが無い…」としか思えず,とても胸糞悪いなと感じた。

ここまで大きなことではないけれど,気の合わない人と関わるとこういった場面に出くわすことは,ある。

「制裁したところで,本質的な部分は何ももとに戻らない」と分かるからこそ,後味の悪いものとして残り続けるものだ。

河村たかし市長が“噛んだ”金メダル交換へ

…そんなことを考えていたら,「交換」のニュースが。

社会がいちばん納得のいくかたちではないのかなぁと思う。

もし選手から「交換の要望」があったとしたら,それもそれで選手を批判する人が出てくるだろうし,他者から「交換すべき」と訴えかけられるのがいちばん良いなぁと考えていた。

選手にとっては,こういったわけのわからないトラブルに巻き込まれた事実は変わらないけれど,済んだことは変えようがない。

未来へ向けてうまく受け止めるならば,「認知度が高まった」といったプラスの面に目を向けてゆくのが良いのだろうなぁ。