今回は他者の記事のご紹介。
論破より対話
「軽率な人ほど相手を論破したがる」本当に賢い人が論破より対話を重んじる哲学的な理由
ここ数年「論破」が流行っているようで。
私も「会話が成り立たない場面」としていくつか成り立たない理由を挙げたことがある。
それが以下。
・一般論と個人の見解の区別がつかない。
・主観的に捉えることが常態化している。
・話の途中で口をはさむ頻度が高い。
・自己の正当化/勝敗に主眼を置いている。
4つ目の「自己の正当化/勝敗に主眼を置いている」というもの。
これが「論破」と方向性が同じなのかなぁと考えている。
「論破」に主眼を置いている方って,「最後に言ったもん勝ち」のような認識をされていることが多い。
対話を試みても内容により「人物の優劣が決まる」と考えている場面も見かけるので,この場合は対話が難しくなる。
正直対話が成り立たない場面では,やり取りするだけ時間のムダになるので,将来的に長く付き合う相手でもなければ「相手をしない」という状態になるのは当然かなぁと考えている。
今回書かれていたこの記事は,読みやすくて分かりやすかった。
私は「歯に衣着せぬ」物言いをすることも多く,相手のメンツをつぶしてしまう場面はよくある。
そのため,「言葉の裏側の確認」だとか,「問いかけによる対話への誘導」といった考え方は,社会でコミュニケーションをとってゆくためには必要なスキルだなぁと深く納得するものだった。
私も「論破が上手い人」ではなく「一緒に居るとより良い解を導くことができる人」といったところを目指したいものだ。