こういった話題,目にする機会が増えましたね。
「9割が教科書を読めていない」
「9割が教科書を読めていない」私立文系しか行けない子供たちの末路
↑元記事。
この書き方,理系vs文系のような対立構造を生みやすいのでいかがなものか,とは思うものの,認知度を上げるという戦略では有効なのかしら。
実際には,理系文系の優劣ではなく「選択肢がそこしかなくなる」といった意のみ読み取るべきだ。
さて,この話題になると大人が子どもに対してやりがちなのが以下。
大人「ちゃんと読めてる?」
子ども「うん」
が,記事内容ではちゃんと以下から切り込まれている。
子供たちに『教科書を読めていますか?』と聞くと85%が読めていると答えます。読めない子は“読める体験”をしていないので、“文字が読める”こと=読めると思っているんですね
まったくその通りで。
本人に読めているかどうか聞いたところで,本人の主観で判断しているため,大人が確認したい内容=どの程度のレベルで読んでいるかは確認できないのですよね。
「読む」自体が脳内の動きであり,「ホントに読めていない」「読めているけれど取り出せない」といった,このあたりの区別は他者からはアウトプットされたもの等から判断するしかないので,聞くこと自体がナンセンスといえるだろう。
音読してもらうと,読むときの詰まり方等でどこにひっかかりを感じているのか等をある程度確認することはできるが…それでもある程度にとどまる。
語彙の不足は読解のネックになります。特に、算数や理科で使う言葉は日常で使う意味とは違う場合もあり、それを理解していないとたった1行の文章でもわからなくなってしまいます
やはり「語彙」。
単純に辞書を確認すれば良いという話でもなく,初めて見る語が多いと大人でも読むのは難しかったりするもの。
たとえば,私は大学生活で化学を専門としていたけれど,「重合」だとか「界面」,「単位格子」だとかいった語句が出てきても,「あのことね」と分かっているから何の詰まらず読める。
が,専門でない場合,「重合」などは,それを知らないどころか,それが専門用語なのか否かから分からなかったりする。
(いずれも高校化学の範囲なのですが,日常的に通じないことが多いと感じています。)
そしてそのたび読解が詰まるのだ。
子どもたちにとっては,専門用語かどうかを問わず,大人向けの文章で使用されている,日常的な語句についてこれが起こるのだと考えれば,「いろいろな語に慣れてゆく」ということがどれだけ大切かが分かるもの。
「速読」についても,語彙力があるか否か,文章の話題になっているものについて概要を知っているか否か,こういったことが眼球の動きを問わず大切だろう。
全部を全部鵜呑みにすべきではないけれど,こういった提言は,自身の視点にはないものを発見できることがあったりするので,タイヘン参考になる。
地域の事情,個々人の事情に合わせて情報を有益に利用したいものだ。