およそ一か月前に書いた記事。タイミングがだいぶずれ込んでしまった。
自由研究「どうしてきょうだい喧嘩がおこるのか」
小6娘の自由研究「どうしてきょうだい喧嘩が起きるのか」 夏休み中の100バトルを記録する探究心がすごすぎ「研究者に向いている」
↑元記事。
「どの程度からを喧嘩と見なすのか?」といった主観的な判断はあるかもしれないが,「データを取ろう」とし,行動したところがとてもスバラシイ。
こういったものごとは,どんなに意識していてもデータを取らねば各人の感覚により左右されてしまうもの。
「○○のほうがたくさんちょっかい出してきた」など,データを取らねば水掛け論にしかならない。
いくら自分のほうが正しい場合であっても,である。
ゆえに,「データを集計する」,「記録をする」,それをもとに考察する。
感覚とのズレも学べるかもしれない。
このデータ自身が何かの役に立つかは家庭の問題であろうが,こういった取り組みを実際にやってみたことが将来的に役に立つだろう。