前回までの旅程:天女の里→御旅市場→細川ガラシャ像→天橋立駅→文殊堂→天橋立→元伊勢籠神社→眞名井神社→傘松公園→伊根湾めぐり遊覧船→浦嶋神社→碇高原牧場→経ヶ岬灯台→袖志の棚田→丹後松島→屏風岩→大成古墳群→立岩→竹野神社→神明山古墳→琴引浜→嶋児神社→最北子午線塔→浜詰 夕日の丘 / 夕日ヶ浦 / 夕日の路→麺倶楽亭→金引の滝→才ノ神の藤→天岩戸神社→新童子橋→日本の鬼の交流博物館→鬼そば屋→ちりめん街道
33. 与謝野町立古墳公園
通り道にあったので,日本海三大古墳のひとつ,「蛭子山古墳」を訪ねた。
駐車場に入り,「蛭子山古墳」周辺が古墳公園として整備されていることを知る。
当該古墳を含め6つの古墳があるよう。楽しみ。
「与謝野町なのか加悦町なのかどっちなんだ……」と思ったのだけれど,加悦町等が合併して与謝野町となったらしく。
この石碑を作ったときは加悦町だった……ということだろう。
丹波の読みは「たんば」であるが,昔は「タニハ(タニワ)」と読まれていたことが分かる。
(とはいえ,当時の発音と現在の発音には違いがありそうですが。)
さて,古墳を見る前に先にこちらへ。
「はにわ資料館」。
入り口には円筒型はにわの置物が。
期待が高まる。
まずは古墳時代よりも古い弥生土器などから。
いよいよ「はにわ」である。
どーん。
円筒型のものが多い。
ちゃんと説明がある。
上部がすぼまっている円筒型はにわがこの地域独特のもの。
水鳥,家のはにわも。
「水鳥」という語を見かけると「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が脳裏をよぎりますねぇ。
「2100年前のコメつぶ」。
ごはんつぶを靴下につけたままにしておけば,西暦4122年ごろになれば「2100年前のコメつぶ」として展示してもらえるかもしれませんねぇ。
外へ。
古墳,横から見ても分かりづらいんですよね。
形が整えられているからまだ見やすいほうかなぁ。
円筒型はにわを並べて雰囲気を盛り上げられている!嬉しい。
知っていますよ。
不自然に空いているところへツボを動かすと仕掛けが作動するんでしょう?
(ゲーム脳。)
円墳と方墳。
大きすぎず小さすぎず。
目で見るのにちょうど良いサイズ。
石室はガードされつつもその位置で見ることができるようになっていた。
……現場からは以上です。
いよいよ蛭子山古墳に登ったのだが……。
例のごとく古墳感の無い写真である。
ちょっとした丘に登っただけのように見えますねぇ。
長かった旅行記。
あと1~2回ほどで終了予定です。
書くのに4~5か月もかけたことに。