先日チラッと書いたもの。
世にもあいまいなことばの秘密
著者は川添愛女史。
言語学者であり,博士号も取得している人。
↑目次を一覧するだけで私の好きなタイプの書籍だなと分かる。
筆述口頭問わず,コミュニケーションにおいてどのような誤読・齟齬が起きるのか,なぜ起きるのか,どのように対策できるか等々を,具体例とともに面白おかしく書かれており,子どもたちにもぜひオススメしたい書籍のひとつとなりそう。
↓『はじめに』に書かれていた著者の意図。
本書では,言葉のすれ違いの事例を紹介し,それらをもとに言葉の複雑さや面白さを紹介していきたいと思います。本書で目指しているのは,読者の皆さんが言葉の曖昧さに少し敏感になり,言葉のすれ違いを早めに察知できるようになることです。同時に,言葉をさまざまな角度から眺める経験を,頭のエクササイズのような感覚で気軽に楽しんでほしいと思います。
(『世にもあいまいなことばの秘密』より)
この通り,楽しみながら察知する能力を高められる良書。
↓『終わりに』の締めの一部。
「曖昧さは,どの言語にも見られる」
「曖昧さは良い面もある」
言葉のすれ違いを防ぐのは難しいことですが,読者の皆さんに曖昧さを少しでも楽しいもの,面白いものと感じていただけたら,著者としては嬉しく思います。
(『世にもあいまいなことばの秘密』より)
↓のようなメタ的な書き方も好感触。
「疑っている」という言葉を使ったときは,相手に意図がきちんと伝わっているかを疑った方がいいかもしれません。
(『世にもあいまいなことばの秘密』より)
たとえば『まだやってるよ』の言葉の意味。
『まだやってるよ(間に合うよ)』(肯定的)
『まだやってるよ(もうやめれば?)』(否定的)
のいずれの場合もあり,またテキスト媒体であればイントネーションも不明なため,意図は読み手次第になる。
私は毎日のようにこうやってブログを書いていることもあり,誰かに誤読された私の見解がよそからまわってくることなどは日常茶飯事。
(私自身はそんなことは述べていないけどなぁ)(読み手の見解により私の感情が決めつけられてしまっているなぁ)といったことは多々あり,まぁそういうもんかなと思いながら過ごしている。
読み手の推測や余白を埋めるようなものは無意識・無自覚に行っているものであり,逆にそれなしではあまりにコミュニケーションがたどたどしくなってしまうものでもあるため,それ自体を否定すべきものだとも思わない。
以前もコミュニケーションにかかわる話題で書いたけれど,誤読の起きないコミュニケーションなどあり得ないという前提のもと,話し手・聞き手,書き手・読み手の双方の,歩み寄り,寄り添い,尊重により前提の共有や確認を行い,ともに相互理解をしようという意思が重要であろうと考える。
『どうして分かってくれないのか』と不平不満をぶつけるだけのコミュニケーションも見かけるが,話し手は『どういった伝え方だと意図が伝わりやすいかな』と常に考え続けるのが建設的であるし,聞き手は『この言葉の意図が一意ではないとするとどのような意図の可能性があるだろうか』と考えたり問い返してみたりするのが建設的であろう。
(単なる『共鳴』や『言いっぱなし』を目的とするコミュニケーションであれば相互理解は不要かもしれませんが……。)
ともあれ,単に『私はこう読み取った』だけのことを『”ふつう”はこう考える』と主張する場をよく見かけることもあり,これに一石を投じる良い書籍だなと深々と頷くことが多かった。
誰が読んでも成長が期待できる書籍であるが,特に日本語がある程度身に付いてきた小学生,中学生,高校生がこの書籍を読むと書き方や読み取り方の解像度がUPすること間違いナシだと感じられる書籍であった。