「誤解の少ない表現」でアウトプット。
頭が赤い魚を食べる猫
何なのかというと,「複数の意で取れてしまう表現」である。
3種類しか見えないかもしれないが,↑をクリックorタップで5種類が表示されるので,ぜひご覧いただきたい。
同じ日本語であるのに,これだけの読み取り方があるのだというのは実に面白い。
日常生活では,「常識的に考えて」とか「文脈から考えて」といったものがあるからこそ,正しく読み取れるもの。
が,それでもミスリードは多々起きるもので。
話者,著者がなるべく一意にとれる表現を工夫しつつ,読み手,聞き手側も言わんとすることを理解しようと傾聴する,この2つの姿勢が寄り添い合って初めてコミュニケーションとなるのだと思う。
「自分が理解できないのは相手のせい!」という他責,「相手が間違っている!正してやろう!」という余計なお世話(ムダな正義感?),「自分の意見と周囲の意見は同じでなければならない!」という同調圧力……。
こういった思想をなるべく排除して自分と他者をきちんと区別し,「こういった考え方もある」「ああいう解釈もある」,……といった多様性を尊重しながら自分の中に取り入れる。
そして,「自分はこう考えている」「周りにはこう考えている人もいる」「自分の考えと多数派の考えが同じこともあれば,違うこともある」……この程度のことで良いのではないなかぁと思う。
つい最近「重複」という言葉の使い方で,「解釈が割れるけれど,私はこういう感覚」と発言したことがあった。
いろいろな意見を聞く中で,「重なる」は「重なる」でも「上乗せ」の意の場合と「上書き」の意,さらに他の解釈もあるのだなぁと,思考を巡らすことがあった。
結論としては,「重複」は文脈から解釈が一意に定まる場合以外は用いるべきではない語だなぁと,そのように感じるできごともあった。