【本】夢を叶えるために脳はある
5-6月の読書習慣がだいぶおざなりになっていたね。
夢を叶えるために脳はある

副題は『「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす』。
著者は池谷裕二氏。
薬学畑の脳研究者。
参考文献を除いて656ページ。
分厚い。
脳講義3部作の完結編とのことで。
↓前著。
このオッサンいつも脳科学の本読んでんな。
目次は以下。
1.脳は夢と現実を行き来する
2.人工知能がヒトの本質をあぶり出す
3.脳はなんのためにあるのだろう
これら3章の中に,それぞれ71~100の節があり,全部で247節からなる書籍であった。
面白い内容があまりに多く,ピックアップするのが難しい。
脳科学の研究をされている人なので,神経細胞やシナプスの仕組み,そしていま何が解明されていて,何が解明されていないのかなど,専門家の最前線がどこまでやれているのかももちろん紹介されているのだけれど,それは書籍を実際に読んでみてほしい。
引用したいところが多すぎるのだけれど,いくつかピックアップ。
手を動かす外的な時間と、手を止めてじっくり考える内的な時間。この二つの状態を適切に切り分けて、往来できる。手の静止と手の運動を交互に実行する。これが「賢さ」と同義だったんだ。
ひたすら手だけを動かすわけでもなく,ただじっと止まるでもなく,交互。
学習がうまくいっている子の動きは確かにこう。
ただ,形から入るのはよくないだろうなぁ。
手を動かす,じっと止まる……を意識的に繰り返したところで,外面が同じになるだけで内的な部分は真似られないだろう。
たしかに最終的には「地形学習」のほうが高得点になるのだけれど、最初のうちは「位置学習」のほうが成績がよい。「位置学習」は初発でいい成績が出るんだ。でも、初速が高い学習法は、最終的には負けてしまう。
『位置学習』とは,同じ地点からゴールにボールを入れる学習。
『地形学習』とは,条件を変えたさまざまな地点からゴールにボールを入れる学習。
『位置学習』は一問一答の暗記のようなもので,学習が点になっている状態のようなものだろう。
初速だけで終わってしまうから,初速だけが求められる場では有効そだが,応用がきかない。
それが成功体験となってしまうと,応用する必要がある場合には不利にはたらくといったことだろう。
つまり、「わかる」という感覚は知識欲を減退させ、短絡的な理解と、思考停止を招く。実は「わかる」は、学習においては弊害なんだ。「交互学習」の実験例が示唆することは、学習とはわからないまま、モヤモヤしたなかで前進していくほうが効果的だ、ということ。
『わかる』は満足感につながるし,主観的には『できるようになった』という感覚になる,そこに弊害が潜んでいる。
何ごともだけれど,理解が進めば進むほど,『自分はなんて無知だったんだ』とか『未知のものがもっとあることに気付く』といったフェーズに入ってゆく。
『自分にはわからないことがまだまだたくさんある』状態を楽しめることが,成長に繋がりそう。
こういう状態を「過学習」といって、一気に学習してしまうと、たしかにその場限りではよく正解するのだけれど、その特定の入力に対してのみ過剰に適応してしまう。そして次に新しい入力に接すると、今度はそっちへ一気に流れてしまう。そのまた次の入力でも同じ。情報に接するたびに、その眼前の情報に大きく流される。表面的な情報に右往左往するばかりで、軸ができずに、ぶれてばかりいる。情報の本質には迫ることができず、いつまで経っても学習が終わらない。
流行に乗りやすい人。他人や周囲の同調圧力にすぐになびいてしまう人。情報に過敏になると、本心が定まらず、芯がブレブレになる。適応力は必要な能力だけれど、適応力が高すぎる場合、その人の能力は、決して「すぐれている」とはいえない。つまり、学習の速さには、いい塩梅がある。
考察することなく結論だけつまみ食いしていこうとする人には,大人か子どもかにかかわらずよく出くわすもの。
対話をしておればすぐに気付くけれど,結論にしか関心がないから,分かった気になれる情報にばかり飛びついてゆく。
問いかけも何を問いたいのか要領を得ない。
ヒトは皆、思い込みが激しい。いや、思い込むだけだったら別に構わない。ポイントは、「自分は思い込んでいない」と思い込んでいるということ。こういう二重のバイアスを「バイアスの盲点」という。脳は「自分には偏見がない」という偏見を持っている。
他者のこれにはすぐ気づけるのだけれど,自分のこととなると,自分は分かっているという驕りは完全に消すのは難しい。
だから、自分が能力が低いという現実が見えていないことが重要なんだ。そうでないと、うまく成長できない。実際、健康な人ほど、自分を過大評価している傾向がある。逆に、うつ傾向の強いひとほど、自分を正しく等身大に見ている。
この観点は面白いなと思って読んだもの。
ダニング・クルーガー効果の出だしの部分などは引き合いに出されることが多いけれど,うーん。
うつ傾向が強いひとほど,自分を正しく等身大に見ているというのは納得。
面接では、「どうしてわが社を希望するのですか」とか「なぜ当校を選んだのですか」と訊くのは常套だ。でも、考えてほしい。そんな質問をしても、返ってくる答えは、ほぼ手段動機だろう。あまり重要な回答は得られない。ところが面接では、そうした手段動機をたくさん挙げられた人ほど、内定や合格をもらいやすい。あんなこともできる、こんなことも実現できる、これもあれも達成できるなどと、弁舌巧みに受け答えすれば、賢そうに見えるのだろうね。そういう口達者な人が好んで採用される。ところが、この論文でわかったことは、入学当初に手段動機をたくさん挙げた人は、その後の成績がそれほど芳しくなかった。ポイントは「好きに理由はない」ということだ。(中略)この論文が説いていることは、「楽しむ力」「ご機嫌に生きる力」の重要性だ。
「手段動機」とは「この学校に行くことで,こうなりたい,これが達成したい」という動機のことで,逆に「内発的動機」とは,「この学校がなんか楽しそうだから」といった動機。
後者のほうがその後の成績が良い傾向があるらしい。
でも,面接では「手段動機」ばかりが求められている。
そういった話題。
私もふだんから「なぜ好きなのか?」の問いに「好きだから」と回答することが多く,理由より好きが先にあるという考えをもっており,これには大きく頷くばかりだった。
>知識があるだけの人は、好きでやっている人にはかなわない。でも、好きでやっている人は、楽しんでやっている人にはかなわない。それほどに、楽しむ力は大切、という主張だ。そして、論語から2500年を経た現在、科学的な裏付けをもって、この主張が意味を帯びる。
『どうせやらなければならないことならば,どう楽しむか』とう発想で動く。
これについては本ブログでも何度か言及してきたことなのだけれど,本書では科学な裏付けまで。
2500年前の論語に書かれていたことも,この書籍で知るなど。
ヒトは、だいたい対数で変化を感じている、光の明るさもそう。(略)ちなみに、収入と幸福感の関係も対数だ。
ちゃーんとデータを扱っている人たちは,こんなこともお見通しなんだなぁ。
無駄なヒトなんて一人もいない。生存しているというだけで、もう立派な価値がある。生きているだけで、宇宙を破壊している。すごく役に立っている。
終盤には,宇宙は何を目指しているか……という観点からヒトの存在について言及している内容も多く,これも面白かった。
エントロピーの話題は高校ではあまり扱わないかもしれないけれど。