(画像はずいぶん昔に作成した中1社会のテストを改変したもの…)
私の授業では「マルつけ」よりも「バツつけ」を行うことが多い。
イヤがらせが得意な講師なのだろうか?
日本での標準的なマルつけ
日本国内では,合っているところに「○」をつけるのが標準だ。
合っている部分を褒める,称えるといった意味合いが強いのだろう。
そして逆に「×」や「レ」は悪いところ,目を背けたいところとして認識されているように思う。
(「レ」はチェックマークのつもりだが,環境依存文字のため,カタカナの「レ」で代用。)
私はここに問題を感じている。
間違ったところこそが大切
「×」や「レ」が付いているところは,間違ったところ。
すなわち,まだ成長の余地があるところ,間違いを予防するために策を考えられるところだ。
だから,「×」や「レ」が付いているところが大切なのであって,「○」が付いているところよりもより重要だ。
もし「×」や「レ」が無かったのであれば,その部分は単なる確認になっているのであって,新たな学びは少ないといえるだろう。
単なる確認の場合は,それこそ何もマークを付ける必要は無い。
だから,私の指導では,「×」や「レ」が埋もれないよう「バツつけ」を行うことが多い。
全問正解の場合は「ミスは無かった」の意で大きな○を付けたりはするけれど…。
世界的には「マルつけ」は少数派
「ここは日本だゾ…」と言われればそうなのだけれど…。
世界的には,合っているところには「レ」すなわちチェックマークを入れるほうが多数派だ。
意図するところは「この解答は問題無い」ということ。
つまり,もう注目しなくて良いところだということだ。
(話はそれるけれど,世界的に多数派だということは,そのほうが効果的であると考えている人が多いということ。こんなところでも,「(日本という)コミュニティ内での多数派=普通」だと思っている方が多いことが分かりますね…。)
私は塾講師を始めて2,3年目ごろから,「間違っているところこそ目立たせるべきだ…」と考えていた。
これは,「イヤガラセ」だとか懲罰的な意味でなく,「この部分は本人にとってまだ学びの余地がある」という意味だ。
だから,私としては「合っているところ」には何もせず,「間違っているところ」にマルを付けたい(目立たせたい)とも思っている。
(文章校正などに携わっておれば,こういった発想は出てくるものだと思うが…。)
だけど,学校の作法やその他の教育現場の作法と混乱する場合があるだろうから,仕方なく「間違っているところにだけチェック」という方式を取っている。
結果的には「×だけをつけるので,『バツつけ』」となっている。
まとめ
間違ったところこそが,大切。
些細な間違いであっても,その些細な間違いを防ぐための策を練る機会になる。
合っているところに○を付ける必要は無い。
話はかわるが…。
今回の話題もそうだけれど,話を途中で遮って結論を出すタイプの人などと会話をすると,「バツだけ付けるなんてイヤな人だな」と烙印を押されて会話が終わることも多い。
こういった状況になった場合,はじめから会話しないほうがまだマシだった…という結果に終わることも。
私が「会話よりも書くほうがラク」と常々言うのには,こういった背景もある。
一事が万事ではないが,私の意図と世間の常識には,乖離している部分が多いと感じている。
だからこそ,私のような思考の人間にできることは…という方向に考えることになるのだけれど。