(昨年,「みどりの日」に撮影したヒゲの画像だ…。)
北九州では早くもCOVID-19の第二波が来たとの情報が…。
スペイン風邪は第二波のほうが影響が大きかったとも聞くし,今後も適度な警戒は保つべきだろう。
さて,…「できている!」と言い張る人ほどできていない場合が多いように感じる。
自信の弊害である。
初めにことわっておくが,政治的なベクトルは趣旨ではないし,総理に対し肯定的なことも否定的なことも述べない。
この塾は,宗教,政治,スポーツとは無縁である。
(まぁ,「社会」という教科的にはどれも題材にはするのですが…。)
安倍首相の動画から学ぶ
StayHomeが叫ばれ始めたころ,星野源さんが「うちで踊ろう」動画をUPした。
安倍首相はこれを受け,この動画に合わせて家でくつろぐ動画をUP。
批判の的となった。
私自身は「安倍首相がくつろぐこと」について,「何の意図かな?」くらいにしか思わなかった。
が,いろいろなところで多くの批判を浴びたようだ。
このできごとから,いくつか学べることがある。
大衆の批判から学べること
「安倍首相がくつろぐこと」と「自分の生活」は関係があるだろうか。
全く関係が無い。
「そんなことしている時間があるなら,政治をやれ!」という声も飛び交いそうだ。
しかし,もしこの動画をUPしなかったとしても,動画をUPせずにくつろぐ時間が生まれるだけで,政治活動につながる時間が捻出されただろうとは言い難い。
安倍首相がくつろごうがくつろぐまいが,「政治活動を真摯に行ってくれること」が大切なことであるのに,見た目ばかりを気にしている人があまりに多いこと,そしてマスメディアがその方向に扇動していることがよくわかる。
安倍首相から学べること
今回の動画は,誰かにプラスの効果があったのだろうか。
私から見れば,「誰にとってもプラスは無かった」と結論づけたい。
安倍首相からすれば,「この動画でStayHomeの流れを…」という思いがあったのかもしれない。
(実際,批判をしていた人もStayHomeの図は目に焼き付き,この語句を覚えるのにいくらか役立ったのかもしれない。)
ここで,安倍首相には「相手側に立つ」という視点が欠けていたのだと考える。
「これを見てStayHomeを…」と考えるところでは,まだ相手側の背景,バックボーンにまで踏み込んだ考え方ができていない。
急に所得が減った人,店をたたまざるを得なくなった人,旅行がキャンセルになった人…いろいろな人が,たくさんの不満を抱えている情勢。
そこへ,内閣総理大臣という,大多数の国民よりも所得も多く,経済的に不自由していない方がくつろぐ様子を見せつけられる…。
これがどういう感情を生むか…。
こういった相手の背景にまで考えが及び,初めて「相手側に立つ」ということがいえるのだと考えている。
もちろん,相手のバックボーンは完全に把握するのはムリであるし,いくら調べたところで,必ず推測の面が多くなる。
ゆえに,冒頭のように,もし「私は『相手の立場に立つ』ことができている!」と言い張れる人がいるとすれば,途中で推測をストップしてしまい,「もっと知るべきだ」という意識を捨ててしまっていることを自分で主張しているのだということになる。
(「首からさげる除菌シート」を身に付けている人は「自分は似非科学グッズに騙されやすい人間だぞ!」と主張しているのと同じだ…というのを思い出すなぁ…。)
まぁ,エラそうなことを書いておりますが,私もまだまだ「相手側に立つ」とうことができていないことが多い。
これからもいろいろな子どもたち,保護者の方々と関わっていくことであろうから,生涯このテーマとは付き合ってゆくこととなるだろう。
(YouTubeLiveで質問を受けたときも,「難しいなぁ…」とつぶやくことが多かったのですが,よくよく考えれば「相手の背景が分からない状況で相手の立場に立って先の道筋を考えるのは難しいなぁ…」と無意識に考えていたのだなぁ…。「オススメの本は?」と聞かれて,「自分の好きな本」ではなく,「相手にとって適切な本は何か」をすぐに考えようとしているのだな…と自分を客観的に分析する良い機会になった。生放送は私にとって学びの多いイベントだった。)
国語の授業では,「主観的」「客観的」という言葉を幾度となく扱う。
これは,小学生にとってはそもそもその概念を知らないこともあるし,言葉を知っていたとしても,正しい理解にまで及ぶだろうか。
また,辞書的な意味を理解したとしても,それは自分の中で消化できているかといえば,そうではないことも多い。
感情の読み取り,社会的な関わり,さまざまな観点から授業を展開できるから,国語の授業は楽しい。