1か月ほど前に受検した結果が出まして…。
(受検当日撮影した写真。メガネを取ると,自分でも違和感がある…。)
結果
IQ 165.9 (sd15)
検査は「高IQ者認定支援機構」の「CAMS」というもの。
IQについてよくご存じの方は説明不要であろう。
あまりなじみのない方に対してこの数がどれくらいの数かというと…。
出現頻度について,IQに関しては,全人類の99.999%より上位。
(上位0.0006-0.0007%くらい。ノンアルコールビールのアルコール度数より低そうだなぁ…。)
およそ15万人に1人程度。
私自身,日常的に15万人の人と接するわけではないから,どのくらいレアなのかはよくわかるもの。
IQそのものについて,sd15で述べるならば,
真ん中が100,
東大生の平均が120(ウワサだけれど…),
MENSAの入会基準が130,
私の今回の検査結果が165.9。
マスコミのよく使うsd24に換算すれば,
IQ 205-206 くらい。
2020/7/3の時点で発表されていた「CAMS」の最高スコアが168.0。
…というイメージ。
このIQの高さで世に何の実績も残していないというのは,私はよほど怠惰な人間なのだろうなぁ…。
結果を受けて
「すごいね」とかそういった賛辞をいただくこともある。
が,そのような賛辞が欲しいわけではなく,事実を事実として受け止めているし,私がどのような性質をもっているのかを事実として認識していただければ…というのが本音だ。
要するに,「自分は知能指数が高すぎる」という事実が判明したし,「人とは視点がズレていることが多々ある」,そういう人だと認識してほしいということ。
事実であるがゆえに,これを「鼻にかけていると感じるかどうか」は受け取り手によることだろう。
会社に所属している身であれば,上司や先輩にとっては「自分より能力が高いことに嫉妬し,攻撃対象にする」とか「自分の立場を脅かすもだと感じられる」とか,ハッキリ言ってIQが高いことがむしろマイナスにはたらくこともあるため,「能力を隠す能力」も必要になることも。
また,これは単なる自慢や免罪符ではない。
今まで教育機関でも会社でも「人とズレていた部分を修正するのが良いこと」と教えられてきたし,自分もそうしてきた。
が,このIQであれば,人と考え方がズレていたり常識が通用しなかったりすることが多いのは性質であり,全てをムリに修正せずとも「自分の性質を活かせる部分で活躍すること」を目指すべきであると認識できた。
以前から「何か自分は知能が高いのではないか」と漠然と考えていたもの。
これは日本人の感覚からいえば,「自分が特別なものだと錯覚する『中二病』である」と捉えがちで,これは自分もそうだし,世間から見てもそうである。
が,人として特別であるかどうかは別として,「知能指数が並外れて高い」のが事実であると判明したことにより,自分の性質について,より正しく認識することができた。
そして客観的なスケールで評価を受けたことにより,少し信じがたい性質でも,人に理解してもらいやすくなった。
いま,三原市という人口9万人規模の地域で活動しているけれど,この規模の地域で「IQ165.9」など,胡散臭いだけで,信用してもらうことすら難しい。
信用してもらったとしても,「IQよりも大切なことがある」などとなぜか他の要素とトレードオフであるかのような評価をされたりするもの。
例えば,「IQよりも優しさのほうが大切!」などの主張があったとしても,「IQが高いし優しくもある」「IQが高いけど優しくない」「IQが低いけど優しい」「IQが低いし優しくもない」のように分けられ,IQと優しさは相反するものではない…。
ただ「IQが高い人の欠点を見つけてやろう」という目で見る方からすれば,欠点が際立って見え,「欠点だらけ」のように見えることだろう。
しかし,私が内包している性質として「IQが並外れて高い」という要素を持っているに過ぎず,その他の性質の有無はまた別問題である。
まとめ
客観的事実として,私はIQが並外れて高い。(感情的な自慢ではない)
ただし,「CAMS」の1回の検査で算出した数であるから,いくらかブレがあるはず。
「IQが高いこと」に依存するだけの人間にならず,自分の得意分野で世の役に立てるように活動したい。
余談だが,「高IQ者認定支援機構」ホームページの「お知らせ」欄,7/2のアイキャッチ,真ん中のチェック柄が私でした…。(オタクの好む柄だなぁ。)