宿題のムダ

Posted on 2020年8月1日宿題のムダ はコメントを受け付けていません

この8月1日から「夏休み」となるところが多いという。

(「夏休み」というタイトルで書き始めたのに,徒然なるままに書いていたら見当違いの内容になったのでタイトル変更。)

夏休みの宿題

これに対するともや塾からの指導は以下。

学校の宿題をソッコーで終わらせる

授業中に補助をする補習塾ではないので,本人にお任せである。

なお,授業前の時間や自習室などで取り組むのも可。

小学校教育と中学受験のズレ

コロナ禍の学校休校により,学力が二極化した

学力上位層は例年より学力が上がり,学力下位層は例年より学力が下がった

…このようなデータが出て,今までぼんやり考えていたことが,確信に変わった。

学力上位層はやりたい勉強をやる時間がとれ,学力下位層は最低限のことをやる時間すらとらなかった」ということ。

学習環境のある学力上位層にとって,小学校は「集団生活を学ぶ場」でしかなくなっているという。

(以下,「学校の先生」という集団全員を批判する意図は無いのだけれど,事実そうなってしまっているという内容を。)

正直,中学受験を目指す子たちにとって,小学校の宿題のうち「時間のムダ」となっているものは少なくない。

だから,中学受験の塾でよく話題になるのは,「宿題が多い先生に当たった…最悪」「宿題が少ない先生に当たった…ラッキー!」というもの。

これは,勉強が好きな層,学力上位層による評価も多くの場合は同じ。

というのも,中学校・高校教育と異なり,小学校教育は受験とは無縁の世界である。

だから,学力面では「学力最下層の救済」に焦点が当てられている。

すなわち,「全く勉強に興味が無い層にもそれなりに勉強に触れてもらうために,ノルマ的な宿題を課す」というのが主体。

勉強量はもちろん必要であるけれど,その内容が問題。

子ども自身の学力から見るとあまりに拍子抜けするレベルの課題をノルマとしてこなすことになるようで。

「もっと自分に合った勉強をする時間が欲しい!」のに,稚拙な勉強にズルズル引きずり回されるという。

学校教育に「退屈」を感じて「勉強」がキライになる場合もあるとか。

そうかと思えば夏になると急に「読書感想文」を課してみたりする。

ふだんの授業でどの程度「文の書き方」を指導してきたのだろうか。

「書き方が分からないのに急に課される」ことから,「文を書くこと」それ自体がキライになってしまうという話を聞くことも。

…そんなわけで,「学校の宿題」には多くの課題があるように感じている。

くれぐれも「ムダな宿題」「ムダな時間」を少なくし,自由度を高めてほしいものだ。

先日NHKで放送されていた「素顔のギフテッド」には,小学校の教育が合わず,家庭で独自のカリキュラムを組んで教育している姿も放送されていた。

「義務教育」は「子どもに普通教育を受けさせる義務」のことであるけれど,「普通教育」を受けることが可能な場合,小学校に通うこと自体は必要ではないのですよね。

ただ「集団生活を学ぶ」という意味で,「同調圧力」だとか「仲間意識」だとか,そういったものに配慮して通うだけ。

この部分を身に付ける必要がない,または子どもの性質に合わないのであれば,ムリに通う必要は無い。

「集団生活」についても,他の団体で賄えるならば,それもヨシかなぁと思う。

昔は「小学校を休んで塾に行く」ことに対して「ガリ勉か!」と思っていたこともあったけれど,今は「小学校教育と中学受験教育のズレがあまりに大きい」と理解しているため,地域によっては「受験のために小学校を休むのは常識」となっていることも理解できる。

この部分を理解している中学校は,小学校が評価する「個人調査書」などはきちんと軽視してくれることだろう。

(中学受験は実力勝負,高校受験は内申勝負,大学受験は実力勝負…なもので。高校受験の感覚を捨て去っていただければ…。)