9/23の「東大王」の放送,広島県では放映されなかったのですね…。
私はYouTubeで後追い再生で観ましたが…。
(ちなみに166番でした。ネタバレはまた後日。)
さて,もちろん計算がうまくいかない…というものもあるけれど。
算数が分からない
特に「小学生だから」なのだけれど,算数が分からない原因は算数ではないことが大半で。
統計を取ったわけではなく経験則になるのだけれど…。
いちばん多いのは「題意が読み取れない」。
次に多いのが「情報を整理できない」。
最後に「計算がうまくいかない」。
「何をやっているのか分からなくなる」というのもあるが,これは上記の理由からになることがおもなもの。
で,これらって,大人が隣についてあげれば解決するのですよね。
「この問題はね,こういう意味」「こうやって整理してごらん」「計算のここがおかしいんじゃない」って。
でも,「それは入試本番のとき,そういった環境にいますか?」という話で。
もちろん分からないことは教えるべきなのだけれど,もっと根本の,「自分で読み取り,自分で情報を整理し,自分で計算過程を見つめる,…」こういった力が必要になるわけで。
これって,一朝一夕に身に付くものではないのですよね。
さきほどの,「この問題はね,こういう意味」「こうやって整理してごらん」「計算のここがおかしいんじゃない」を使えば,目先の宿題や目先のプリントの成績は上がることも多いだろう。
が,長期スパンで考えて,それで良いのか?と思うわけで。
結局先立つものは国語
ブログでは口を酸っぱくするほど述べているし,これからもおそらく述べてゆくことになると思うけれど…。
何がなくとも「国語」なのですよね。
もちろん「国語」の基準ラインを越えられている子にとっては「算数」などの科目だけで良いのだけれど。
「国語力」が不足していると,「算数」「理科」「社会」…すべての科目において,理解力が不足し,同じ授業を受けても効果がうすくなり,いくら本人が努力しても,追い付くどころか引き離されることになる。
「漢字の学習学年」以外は無学年な科目であるし,外から見える力も分かりづらい,地味な科目だからあまり注目はされない。
だけど,基盤として必須であるのは「国語」だよなぁ…と常に考えている。
アドバイスしようとコミュニケーションをとっても,コミュニケーションがそもそもなかなか成り立たない場合もありますから…。←これも国語力…。