「語句だけ物知り」
知識
先日SNSを眺めていて目に入ったもの。
「名称を知っていることと,それを理解していることとは同義ではない」
良い表現である。
同様に「辞書的な意味を知っていたからといって,それを理解しているわけではない」
また,逆に「アウトプットできないからといって,それを理解していないとは言い切れない」
いつだったか,「『武田信玄』が教科書から消える」など話題になったが,このニュースを見たときに私は「ナンセンスだなぁ」と感じた覚えがある。
というのも,「多量の語句を詰め込むことが学びである」という前提が無ければ,このような発想にならないのではないかと考えているからだ。
「語句はどうでも良い」ということではない。
「語句を知っているか否かを学びの中核とすべきではない」ということ
例えば,小学校の現行課程では「治安維持法」を学習する。
が,教科書には「治安維持法」という語句は一切載っていない。
ただ「政府は,こうした動きを警戒し,運動を取りしまるための法律を定めました。」と書いてあるだけだ。
重要なのは「当時の時代背景と照らし合わせ,どういった流れがあったのかという内容」のほうであることが意識されている。
反面,語句を知っていると,学びの足掛かりにしやすかったり,「あーあのことね」と連想の軸にしやすいため再学習するときにも役に立つし,他者とコミュニケーションするときにも伝達しやすい。
ゆえに単純に「どちらのほうが優れている・劣っている」と優劣をつけるべきものではない。
ただ,「語句が減った」事実のみを取り沙汰し,内容が深くなったことに言及しないニュースについて「ナンセンスだなぁ」と感じたのだ。
TVのクイズ番組などでも,語句だけを重要視する場面が多いようで。
語句を知っているだけでもそれはそれで知識量が多いのだろうけれども,それだけを評価する雰囲気を周囲に伝播しているのかなぁと感じることもあり,なんとも言えない気持ちになる。
(クイズ番組を視聴するのが苦手な理由のひとつかもしれない…。)