「親ガチャ」について思うこと

Posted on 2021年10月2日「親ガチャ」について思うこと はコメントを受け付けていません

こういうワードこそ流行語だと思うのだけれど。

「親ガチャ」

親ガチャ」なるワードがいろいろと物議をかもしているそうで。

私の周りでは全く使われていないため,もともとどのような文脈で使われていたのかは分からない。

が,「『親ガチャ』なんて失礼」だとか「『親ガチャ』よりも努力の方が大事」など否定的な意見を述べる方はちょくちょく見かける。

以前も述べたけれど,私自身は「ワード自体よりも,どのような意図で使用されたか?」を重視するため,この言葉自体を良いだの悪いだの評価するのは狭量かつ浅慮なのではないかと考えている。

こういったワードにばかり気を取られ,本論が何なのかを読み取ることを放棄するようにはなりたくないものだ。

もし,「『親ガチャ』にはずれたせいで人生がうまくいかない」といった論があったとして,その後に「親が悪い」と言い切ってしまえば,それは非難の対象になっても仕方ない。

(そもそも「あたり」「はずれ」のようにハッキリ分けられるものでもなく,比較対象ありきの相対的なものでもある。)

が,現実的に「遺伝子」や「家庭環境」に差があることは当然であり,それを流行りの言葉で「親ガチャ」と表現したとして,何ら問題ないだろう。

「生まれたときの能力が違う」「生まれてからも家庭環境が違う」,そういった,自分では変えようのない「ままならないこと」を「親ガチャ」と表現しているに過ぎないだろう。

ひとくちに「親ガチャ」といっても,「『親ガチャ』があるよね」といった文脈と「『親ガチャ』のせいで自分はうまくいかないんだ。親が悪い」といった文脈のように,「親ガチャ」についてそれはそれとして捉えているか,それとも責任転嫁しているか,こういった違いがあるだろう。

社会で起きているものごとを皮肉をこめて言葉で表現することは,いつの世の中にもある。

今回の言葉は「親」が入っているから物議をかもしているのだと思うが,それをおおごとにして非難してしまうことには興ざめである。

親側の器のサイズが垣間見えるかもしれない。

「努力」は大切

「『親ガチャ』なんて言うな!努力が大切だ!」といった論も見かけるのだけれど,「親ガチャ」の存在と「努力が大切」であることは何ら相反しない

努力が大切であることはもちろんだ。

が,現実として,能力のスタートラインに差があり,かつ家庭環境による補助にも差があった上で,全く同じ努力をしたとしたら…。

(もちろん,たとえ思考実験だとしても人の成長について対照実験を行えないことは重々承知である。)

まぁこんな論は,ただ単に「努力至上主義」の方に対する反論として用いるだけであり,何も建設的な話題にはならないのでこのあたりで止めておこう。

障害物競争に例えるならば,「親ガチャ」により「スタートライン」や「選べるコースの内容」がある程度決まっており,「努力」により「どのような戦略で走るか」「選択できる中でどのコースを選ぶか」「どれくらい全力で取り組むか」が決まる…といったところだろうか。

(こんな単純なことではないけれど…。)

「自分で変えられること」「自分では変えられないこと」,そして「理論的には変えられるけれど現実的には変えられないこと」「一方を選んだら他を諦めねばならないこと」などがある。

先述したとおり,「親ガチャ」が単に責任転嫁,他者批判,不満漏出のためだけに使用される場合は非難されても仕方ないだろう。

もし不満ばかりが募って身動きできないようであれば,一度「FACT FULNESS」を読んだり,「DOLLAR STREET」でも眺めてみると冷静になれるはずだ。

DOLLAR STREET(クリックで表示)は,月収別に世界中の生活の写真をまとめたサイト。例えば月収$27の人のベッド,月収$526の人のベッド,月収$19671の人のベッド,…などを眺めることができる。良い悪いだのではなく,現実を直視するのにうってつけである。)

「与えられた環境で生きる」のが人生だ。

いくらか自分で変えられることはあるけれど,どうしても変えられないものも含め。

将来に向けて方向性を決めたり,努力をしたりする,そういったことのために「自身が今置かれている状況を冷静に分析する」ためには自己認識が必要だ。

「親ガチャ」という言葉自体の良し悪しなど議論しても仕方がない

そんなことよりも,話者が意図しているところに注目してゆきたいものだ。

(こういった,言葉尻だけを取り上げて執拗に責め立てる風潮は,TVなどマスメディアの影響が大きいように感じる。「TVばかり見ているとバカになる」といった論があったが,これもそのひとつかもしれない。)

とはいえ,私自身は「良い」とも「悪い」とも述べない。

「親ガチャ」というワードが鼻につく方は多いだろうというのも容易に想像がつく。

よって,今回のようにこのワード自体が主旨である場合以外には使用を避けたいワードだということは否めない。

でないとこのワードだけが気になって話が伝わらない可能性が高まるからだ。

(そういえば「うちの子バカだから~」は子どもに対して失礼だと考えているが,市民権を得ているなぁ…。ちなみに本人が居る場であれ居ない場であれ,この表現は子どもの成長に悪影響であることが明らかになっている。)

今回は,なんでもかんでもすぐに「良い」だの「悪い」だの評価しちゃう風潮に辟易していることが漏出した文章になってしまったなぁ…まぁいいか。