近年教育現場でよく聞く言葉,「アクティブラーニング」。
言葉尻だけをとらえると,「野外活動でもするの?」と思われそうな語句である。
本来の意味は「能動的な学習」であり,こちらのほうが誤解が少ないのだが,何しろインパクトに欠けるので「アクティブラーニング」という言葉が使われているのだろう。
だが,「アクティブラーニング」という言葉の意味が広すぎるようにも感じる。
学校等で行うアクティブラーニング
学校では,おもにグループワークやディスカッションでの形式の授業をアクティブラーニングと言っているものが多いようだ。
答えの決まった問題について答え合わせをするのではなく,課題について議論し,周囲の意見を聞いたり,自分の意見を発言したり,ときにはフィールドワークをしながら進めていくというもの。
大学でゼミや研究室に所属すれば,自分の研究について経過報告などをする機会も多いが,そういったものも「アクティブラーニング」にあたるのだろう。
塾でのアクティブラーニング
塾に求められているものは,「入試合格」と「内申点」など,「成績向上」である。
旧来からの「成績」といえばほぼ「テストの点」であり,現状の入試のシステムでは,やはり「テストの点を上げること」に重点を置かざるを得ないのが現状だ。
だから,塾がやるべきことは,ディスカッション能力などではなくペーパーテストでの点数の取り方偏重になってしまうところがあるだろう。
だが,「アクティブラーニング」を単に「能動的な学習」と捉えることができたならば,塾でも「アクティブラーニング」は可能であるし,むしろ効果的であると思う。
どういうことだろうか?
答えは簡単なことで,子どもに「もっと知りたい」「もっとわかりたい」という気持ちを植え付けることだ。
この気持ちさえあれば,「やらされているからやる」のではなく,「やりたいからやる」となり,この気持ちこそが「アクティブラーニング」であるといえる。
ただし,もちろん大人どうしでもそうであるように,「他人に影響を与えることはできても,他人を思い通りに変えることはできない」。
勉強(学ぶこと)は楽しい
現在,「勉強」=「イヤなこと」というイメージはつきものだ。
これは,「イヤイヤやらされている」ことが背景にあると思う。
だが,本来的に人は「勉強が好き」なはずなのだ。
例えば車が好きな人にとって,「どんな車種があろうのだろう?」と思えば「調べて覚えたりする」し,映画が好きな人は「最近どんな映画をやっているんだろう?」と思えばやはり「調べて覚えたりする」ということになるだろう。
どんなときに「学びたい」と思うのだろうか?
もちろん「興味をもったとき」だ。
だが,「興味をもて」と言えば子どもは興味をもつのか?と言われたらもちろんそんなに単純ではない。
生来的に好きであれば,何も問題ないのだが,多くの場合はそうではない。
嫌いな社会が好きになったとき
私は子どもの頃に社会が好きではなかった。
何につけても暗記暗記。
暗記するのが苦だとは思わなかったが,話に広がりがなく,単に語句の物量がぶつけられるだけの科目としか思っていなかった。
いつ興味が芽生えたのだろうか?
単純なことで,歴史のゲームを遊んでからだ。
「水野勝成ってそういえば福山城で見たなぁ」とか,「備中高松城の跡地って岡山にあるなぁ。行ってみたいなぁ」とか,人物や場所の背景について知りたくなったのだ。
これは「歴史のゲームをするべきだ」というわけではなく,私がゲーム好きだったので,そこに面白い歴史のゲームがあったという話だ。
些細な事で構わないから,日常生活できっかけとなるような機会を多く見つけるのが,大人の役割だろう。
「日常生活での学び」,これを心掛けて以来,私はいまだに夜になると「月の位置」や「月の傾き」と「時間」「方角」の関係を,無意識に確認してしまうクセがついた。
こんな小さなことでも「能動的な学習」,すなわち「アクティブラーニング」といえるだろう。
長時間かけて詰め込むより,日常の些細な時間に思い出すことを繰り返すほうが学習効率は高い。
塾でできること
塾でできることは,いかに「子どもに興味をもってもらうか」ということ。
子どもはやっぱり「面白おかしいものへの食いつき」は激しいし,「面白おかしい」ことがあれば,何度も思い出して話したり,他の人に語ったりするものだ。
だから,私はあえて重要な学習を茶化したりすることを恐れず行う。
「マジメじゃない」とか「不謹慎」だとか言う人もいるかもしれない。
だけど,「どうせ勉強しなければならないこと」なら,楽しく学べたほうが好きになるし,勉強疲れも少なくなるし,「もっと勉強したい」という気持ちが強くなるものだと思う。
現に,今まで私が受け持ってきた子たちには「塾が好き」「先生が好き」と言ってくれる子がたくさんいたし,楽しんでいる子ほど学力をつけていき,合格をもぎとった子も多い。
もちろん面白さのツボは人それぞれであるから,全員に同じように楽しさを伝えることは難しいかもしれない。
だけど,「楽しい」と思わせるしかけを,1つだけでなく2つでも3つでも,いくらでも考えていけるはずだ。
幸いなことに私はなんでもないことを「面白おかしくする」ことが好きで,かつ得意でもあるようで,自然とそういった指導になっていったことは大変幸運だと思う。