血液クレンジングについて思うこと

Posted on 2019年10月17日血液クレンジングについて思うこと はコメントを受け付けていません

※ この記事の主旨は疑似科学や血液クレンジングを否定するものではなく,思考法について述べたものになります。

マイナスイオン,水素水,…疑似科学の話題は事欠かない。

疑似科学は,言葉を使う人によって意味合いが変わってくる,定義があいまいなものであることが多い。

「マイナスイオン」などは,文学的な意味で「癒し効果」というニュアンスの言葉として定着しつつある。

最近話題になっているのが「血液クレンジング」だ。

血液クレンジングとは何か?

体から静脈血を取り出し,オゾンと反応させて体に戻すもの。

血液クレンジングを勧める人々

医者の中には勧める人がおり,インフルエンサーとよばれるSNSで情報を発信している人々の中にも勧めている人がいる。

「効果がある」と感じて勧めている人と,「お金になる」と感じて勧めている人がいるだろう。

見た目の説得力

「黒い血が赤い血になって戻ってくる」という見た目に説得力があるためか,これにより信じる人が多いようだ。

だが,「静脈血(二酸化炭素を多く含んだ,肺に戻る前の黒ずんだ血)を酸化すると赤い血になる」のは当然のことで,これは人体の中の肺が行っている

肺の機能に期待できない場合に,選択肢に入ることなのかもしれない。(医学については専門外なので,不確かな表現で申し訳ない。)

義務教育で学習するこの事前知識があれば,「黒い血が赤い血になるのは当たり前のこと」であり,「それを目で見て実感できる」ということには感心するが,「血液クレンジングに効果がある」という結論とは何ら関係が無いのは明らかだ。

血液クレンジングの効果

検索すれば,「さまざまな病気に対して効果がある」といろいろなところで述べられているが,「期待できる」という表現には要注意だ。

例えば,「何の変哲もない単なる水」であっても,「健康に効果がある」し,「アンチエイジングに期待できる」し,「健康志向の人は摂取している」し,こういった表現は間違いとは言えないからだ。

だから,「さまざまな病気に対して効果がある」という表現は,具体的な部分を正しく明示されていなければ「何も述べていない」のと同じだ。

疑似科学に対する考え方

今回のように「黒い血を赤い血にする」という視覚効果で,さも「血液クレンジングは健康な人にとってもするべきことである」と見せるものについては,自分でよく考える必要がある。

「水素水」のときには,「ふつうの水はH2Oで水素が2個しかないが,水素水はH12Oで水素が12個も!」などという明らかに「自身で思考できない人」を騙しにかかる手法があった。

ゆえに,「思考できない人を騙しにかかっているな」という説明を見たときには,妄信せずに自身の知識で思考したり,エビデンスを調べて考えるべきだ。

もちろん,「自分の知識が追い付いていないだけで,実際には正しかった」ということも大いにありうるから,「騙しにかかる人がいるから間違いだ」と決めつけるのも早計だ。

結論は正しいけれど,説明がおかしい…という場合もあるからだ。

疑似科学をめぐる対立

判断の根拠にするものが異なるから,対立が生まれる。

疑似科学を否定する立場の人は,「自分で思考して判断すること」を大切にしている

疑似科学を否定しない立場の人は,「TVや雑誌,影響力のある人の発言,自分の周りの人の発言をもとに判断すること」を大切にしている

私はどちらの判断が良い悪いというよりも,どちらの判断も大切であるし,偏るべきではないと思っている。

誰しも自分の専門分野,自分の知らない分野はあるものだし,「自分で思考する」にも分野によって限界がある。

だけど,「自分で思考して判断すること」に関しては,教育機関での学習を意欲的に行わなかった場合や,ふだんから思考することを放棄して周囲の判断に頼ってばかりいると,身につかない

だからこそ,若いうちから思考力・判断力を養っていく必要がある。

逆に,「自分がいつも正しい」と思いこむのも危険だ。

今までの常識を覆す新しいものごとはどこにでも潜んでいる。

だから,「自分なりの思考」も大切だが,「現状どのような研究結果が出ているのか」に目を向けることも必要だろう。

ただし,「○○になった気がする!」などの主観に基づいた感想はエビデンスとは言えないことに注意だ。

(悲しいことに,これを信じる人が多いから,この手の宣伝は絶えないのだが…。)

疑似科学との付き合い方

正しいことについては何の問題もない。

自分で思考し,「おかしいな」と思ったこととは距離を置いておくだけで良い。

また,賛同している人に対していちいち「あなたは間違っている」と言う必要もない。

「人に影響を与えることはできるが,人が変わるのは本人次第」だからだ。

より説得力のある人の発言や,より大勢の人の発言がなければ,判断を変えるとは思えない場合が多いし,ただ険悪なムードを招くことにもなりかねない。

(今回話題にしている血液クレンジングについては,「血液を出して入れる」ため,安全性やリスクについて指摘したほうが良い気もするが,その点に関しても医者のほうが説得力があるだろう。)

まとめ

疑似科学らしいものについては,自分の知識やエビデンスをもとに思考して判断するべきだ。

科学用語で無いものをさも科学であるように扱っているものや,科学用語をムチャクチャな説明で塗り替えているものも日常に多く潜んでいる。

もし「間違っている」「間違っているかは定かではないが根拠に乏しい」と思ったら,自分はその疑似科学とは距離を置けば良い

周囲に自分の意見とは反対の意見をもつ人がいたとしても,無理に「自分のほうが正しい」と主張する必要は無いし,議論好きの相手であれば「正しい」とする根拠について学ぶ機会と捉えても良い。

新しいエビデンスにより「自分の考え方が間違っている」ということが明らかになる場合や,「正しいという根拠が盤石になる」こともある。

平たく言うならば,自分にとって関係の無いものについては「様子見」「傍観」がベストというところだろう。

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