1人の講師が“みる”こと

Posted on 2022年3月14日1人の講師が“みる”こと はコメントを受け付けていません

最近この話題をちょくちょく耳にするので。

それなりの規模の塾だと先生が代わる

ともや塾には,他塾から移ってこられる方もちょくちょく来られる。

その理由のうちいくつかが以下。

「学年が上がって先生が代わったので」

「上の子のときの先生は良かったのだけれど,下の子の先生は…」

こういったもの。

もちろん多数の講師が在籍していた場合,リスク回避などの点で利点は多々あるのだけれど。

代替可能な授業

講師が代わるということは,代替可能な授業である。

代替可能な授業であれば,「映像授業+チューター」で十分である。

たとえば大学入試のような全国区の入試となれば,どの地域だろうが入試問題研究等は同じであるので,規模の大きな塾のほうがメリットが大きいし,映像も洗練されていることだろう。

が,中学受験となればどうか。

入試事情はローカルなものとなり,全国区の研究はできていても,地域の事情とは乖離していることが多々ある。

また,小学生という幼い年齢の子どもたちは「その先生の指導」を受けに来ている場合が多い。

こうなると,「同じ先生がずっと指導する」ということに大きなメリットがあると考える。

以前,福山市内の塾で活動していたときに,学年が上がる場面で次のようなことを述べられたことがある。

「塾を続けたいのはやまやまなんですが,先生がずっとみてくださるわけではないのでしょう?来月も先生が担当されるのであれば続けるのですが…。」

まぁ,これは波風を立てず退塾するときのリップサービスであったかもしれないけれど。

が,私はサービス業に徹しきれないところもあり,「良い講師も居るけれど,あまり良くない講師も居る,また良い講師ではあるのだけれど,担当科目による…」といった事実をふまえ,これには返す言葉もなかった。

「下の学年の子たちもともや先生にみてもらったほうがいい」

懇談のときに伺ったのだけれど,現在中3として通ってくれている子の口から出たそう。

いま,時間割が逼迫しており,中3数学の講座を置くところがなくなってしまうところであった。

中1中2の講座をつくるから,中3になると講座を閉めるということになっていたもの。

そのときに,上記のような言葉が出たそう。

結局,「週1時間でも良いから通いたい」との申し出もあり,1対1でありさほど準備に時間も取られないので,今年度は土曜日に講座を用意することになった。

中学2年生という思春期,反抗期の時期にこのような達観した視座で自益だけでなく後輩たちのことまで考えた視点でものを考えることができるのだなぁと感心したもの。

“みる”

前述の話を聞いて,たしかに“みる”という表現がいちばん適切だなとよく考えるようになった。

授業を受ける側からすれば,「授業を受ける」「指導を受ける」なのだけれど,私の指導の場合,先に何かを示すよりも,子どもたちの様子を「みる」から入ることが常態化している。

必要ない部分については変に新たな決まりに従ってもらうことはしないし,必要であれば,個人的に少しずつ先を見据えた視点でアドバイスを添えるといった程度。

何をするにも,私も子どもたちも,「経験の蓄積」や「タイミング」,「信頼関係」が重要であると考えているため,必要なときに肝となる一手を打てるよう,常に準備しておく…といったかたちになるだろうか。

こういった点からも,一人の講師が“みる”といった利点は大きいように思う。

そういえば,福山市内で算数・数学塾を開いておられる浜田先生も,個別指導ではあるが,「在籍できる生徒数は最大で13人まで」と人数を限定している。

たとえ授業コマ数を埋められたとしても,“みる”という観点から考えれば,席の数のような物理的な面でない部分で生徒数を限定する必要があると考えておられるのだろう。

その点は私も同様だ。

まぁ,会社の経営側に立つならば「リスク回避」のほうが優先されるので,良い悪いといった話ではなく,スタイルの違いであるだけだ。

大きな会社には,私には持つことのできない大きなメリットもたくさんあるので。