オンラインでのビデオ通話も日常的になりまして。
遠方の方々と接する学び
この夏の間に,以下のようなできごとがありまして。
・東京の方が福山に寄られたので,街を案内した。(後日記事にしようかな。)
・シンガポール在住の方とオンラインで通話した。
聞くことによる学び
ふだん身近に居ない方と話すと,自分が関わる機会の無かったものごとに関心を持つ機会が得られる。
こういった偶然の産物,「牛に引かれて善光寺参り」ともいえるようなできごと,私は結構好きだ。
「調べればなんでも分かる」という意見を述べる方もいらっしゃるが,「そもそも概念を知っていなければ,調べる段階まで辿り着けない」もので。
さまざまな方との会話,特に文化やコミュニティの異なる方々と会話すると,未知のものごとに出会える場合がとても多く,人生がより豊かになるものだ。
ゆえに,目的もなく出かけたり,初めてのコミュニティに顔を出してみたり,ひとところに身を置かずに行動する。
属するコミュニティも大切なのだけれど,あまりにひとところにとどまり過ぎていると,派閥争いだとか同じ話に共感を求める同調圧力ばかりで窮屈に感じられる。
ずいぶん前にさかなクンさんも似たようなことを言っていなかったかなぁと思って記事を探してみたのだけれど…。
「いじめ」の話題であった。
私が読み取ったのは,「狭いコミュニティに縛られず,抜け出すと様々な新奇な体験ができる」ということであったが,うーん…たぶんこのときのさかなクンさんの述べている主旨とは違うなぁ。
話すことによる学び
「何が趣味か」
「オススメの本は何か」
「生活している場所には何かあるか」
こういったものごとを聞かれたりするもの。
聞かれると「何があったかな」と思考を巡らすもので。
自分の趣味嗜好が何なのか考えたり,ふだん生活している場所に何があるのか考えたりする。
また,考えることにより,趣味の活動を活発にしたり,ふだん生活している場所に何があるのか調べたり,実際に赴いてみたり,新たな学びに繋がってゆくものである。
今回は「遠方の方々」としたが,「ふだん自分の所属しているコミュニティの外にいる方々」としても良かったかな。